一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

欲しい

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香月泰男(1911-1974)
「生誕110年 香月泰男展」図録より無断で切取らせていたゞきました。

 苛酷なシベリア抑留体験を、黒と灰色を基調とした息詰まる緊張感に貫かれた画面に定着して見せた画家として、あまりに有名だ。
 『私のシベリヤ』(文藝春秋、1970)、『シベリヤ画集』(新潮社、1971)、『没後30年香月泰男展図録』(朝日新聞社、2004)の三冊は、書架の端に立てて普段はあまり手に執らぬようにしている書物である。もう一冊、今回の図録が加わることになる。
 練馬区立美術館で観たのだが、宮城・神奈川・新潟・足利をも巡回する展観の共通図録らしい。社団法人インディペンデント発行となっている。

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 大戦最末期のソ連参戦にまつわる戦史問題を、今は云うまい。今なお解決にいたらぬロシアとの政治問題を、今は云うまい。
 シベリア抑留体験あったがゆえに、独自な境地を切り拓いた芸術家として、詩人の石原吉郎、小説家の長谷川四郎、画家の香月泰男の三人が、石碑にタガネで文字を彫りこむがごとき固い確かさで、胸に刻みこまれている。

 三者三様ながら共通して、表現は閑かである。平易と申してもよろしい。告発だの怨念だのといった油気が、表面にぬらぬら浮出してくることはない。むしろ厳しく寒く不愛想ですらある。
 喜怒哀楽だの、恨みだの憎しみだの、夢だの期待だのといった、あれこれの情感という情感のことごとくは、あたかもノミを一匹々々つぶし殺すように、みずからの指先をもってつぶし尽された。そのようにしたからこそかろうじて生残れた人の、口の重い透明さが、三人の作風に共通している。

 練馬区立美術館での展示は、三室に分類されていて、第二・第三室はいわゆるシベリア世界と、ほんのわずかながらそこからの帰還の世界。暗く沈んだ画面から、氷のなかに死んでいった者たちのか細い声や息づかいが立ちのぼってくる。一人ひとりの声はか細いのだが、無数の声が束ねられ絡まりあって、地の底を低周波で振動させているような響きとなって、ついには轟く。

 第一室が、シベリア世界以外の、戦前戦後を貫く、多彩な方法と色使いの世界である。もしシベリア体験なかりせば、香月泰男とはこういう画家だった。むなしいイフの空想をかき立てられる。
 大胆に面をつぶして色にしてしまう、セザンヌへのオマージュ。冷えたブルーグリーんに小声の情感を潜ませた、ピカソ青の時代へのオマージュ。性欲的なはしたなさすら連想させる、ぬらりとなまめかしく粘っこい曲線は、ピカソかルドンか。
 モチーフの抽象化やそのモチーフを再構成する着想は、もっと新しい時代の息吹だったか。
 点数はわずかだが、ヨーロッパの街並風景など、佐伯祐三荻須高徳だってやりそうな気がする。が、色が佐伯にも荻須にも似ていない。
 香月泰男は、紛れもなく昭和の画家だった。未曾有のシベリア体験において昭和の画家であり、シベリアを除いたもともとの資質においてもまた、昭和の画家だった

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「伐」、「鋸」。

 大きな展観に臨むとき私は、自分の印象が散漫にならぬようまとめておくために、もしいたゞけるとしたらどの一枚を所望するか、と想像することにしている。つまり全展示作品のなかから、評判だの評価には関係なく、私一個にとっての一点というものを、絞りこもうとの心掛けである。自分がいかなる理由で、いかなる観点から、この展観を鑑賞したかが、明かになる場合も多い。

 今回は二枚一組のような作品の片方「伐」とした。
 森林や荒地の開発、鉄道や道路の敷設、治水や護岸工事。抑留者たちは来る日も来る日も、重労働に駆りだされたことだろう。極寒の地に根を張った大木は凍ったように硬く、斧や鋸の刃も撥ねかえされて、容易には入ってゆかなかったことだろう。何人もの力と愚かしいほど長い時間とをかけて、ようやく一株の大樹を伐り倒していったのだったろう。
 倒した樹の切株はと視れば、年輪の幅は狭く、敵ながらたゞならぬ生命力であったことが、感動するほどの実感を作業員にもたらしたことだろう。こいつが命ならば、俺も命だ。自負も誇りもとうに擦り減らして、たゞ機械のように無心になっての力仕事に明け暮れる抑留者たちの胸の裡に、一瞬よぎった生命の音・色・声・匂い。
 私はこの一枚だったら、欲しい。

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ロビーにて。

 この催しがあることは知っていた。二月から三月下旬まで。もだもだうかうかしているうちに、会期末がやってきた。かようなモノグサから貴重な機会をやり過してしまうことは頻繁にある。今回もそうなるところだった。
 お若い友人がたが、声を掛けてくださって、引きこもりの私を誘い出してくださった。感謝のほかない。ロビーの椅子に腰掛けて、天井をぼんやり視詰ていた。

 「たいそうお早いですね」やがて出てきた友人がたは、まだ観足りない顔つきだ。どうぞどうぞ、お気づかいなくごゆっくり、何度でもご覧ください。
 自分に向上発展の余地があるうちは、いく度でも繰返し観たいもんです。そこへゆくと老人は、自分に見えるものしか視ません。回想と絡まってしまったりして、見えるものは、限られてしまっているのです。それ以上を視ようとしても、もはや見えません。新たに見えてきたように云う老人は、思い上りか見栄っぱりです。