一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

北川はぼくに


 頭で考えたことってもんは、おゝむね言葉にできますな。当然です。だって言葉を用いて考えたんですから。そこへゆくと、心に感じたことってのは、言葉で云い表せない場合がございます。手持ちの言葉の数が足りないんですな。
 ましてや視ただけのこと、たゞ在ったにすぎないことなんてもんは、ほとんど言葉にできません。あとから思い返して、むりやり言葉にしてみましたところで、そんなもんは勝手な解釈にすぎません。まずたいていはご都合主義の産物ですな。

 昭和十九年の十二月二十四日に山口の聯隊に入営したあたしら新兵は、五日後には福岡港から釜山への船に乗せられ、船と列車とまた船と貨車と、その後はえんえん死ぬの生きるのの行軍。翌年五月初めに、ようやく湖南省の所属大隊本部に到着いたしました。
 任務は付近を通る鉄道の歩哨。つまりゲリラ等の妨害から補給線を守る、見張りというわけで。

 夏となりました。アメーバ赤痢がひどくなったうえにマラリアをも併発したあたしは、蚊に刺されて戦友に移さぬようにってんで、小さな蚊帳を吊った隔離テントに、一人ぼっちでしばらく転がされておりました。
 ようやく退テン、退院でなく、退テンしてみると、戦争は済んでいました。それからは捕虜生活です。

 あるとき北川からボソッと、夜間歩哨に立ったときに人を撃った噺を聴かされました。
 映画の軍隊みないなサーチライトなんかありゃしません。裸電球ひとつないんです。あるのは月明りだけ。たゞ小高いところに銃を持たされて立っているんです。闇に向って人間の眼なんぞは働きませんから、隊では犬を飼っておりまして、怪しい動きに対して吠えてくれる犬だけが頼りです。
 本当はなんなのでしょうか、ノロと称ばれておりましたが、シカでもなきゃウサギでもなく、内地では視たこともない動物が、ときおりピョーンピョーンと跳ねて通ります。犬はノロに対しても吠えます。というより、犬が吠えるたいていの場合は、ノロなんです。

 北川が歩哨に立った夜も、犬が吠えました。闇に眼を凝らしますと、やはりノロがピョーンピョーンと二頭、鬼ごっこするように跳ねて通りました。また吠える。また二頭ピョーンピョーン。
 「ありゃ、サカリかのう。二匹ずつじゃ。跳んだら地に着くまもなしにピョーンと、泳いどるようじゃった。月夜はのう、そこいら海の底みたいなんじゃ」
 ようやくノロが去っていったと思ったら、その向うに細い縦長の、白い影が見えました。ゆらゆら揺れている。眼を凝らす。どうやら人間らしい。こちらへ近づいてくるようです。
 「班長殿、だれか来ます。オイッ、停まれえっ。上等兵殿、人です、こっちへ来ます。聞えんかぁ、停まれえっ」
 北川は発砲しました。白い影はユラッと大きく揺らめいて、後ろへ倒れたようでした。二発目は発砲しなかったそうです。

 撃たれて死んだのは、所属部隊も判らぬ新兵でした。迷子兵か脱走兵かも判明いたしません。たゞ左胸の物入れ(ポケット)に小枝が二本差してあったことから、新兵ということだけはたしかなようでした。
 行軍や演習の途中、飯上げ(食事)になってもすぐありつけるように、新兵たちはそこらの樹から枝を二本折りとって、箸代りに胸に差していたのです。上官に見つかると、帝国軍人の恥さらしと、取上げられたり捨てさせられたりしたものでしたが、新兵たちはまた枝を折りました。

 どことも判らぬよその隊でも、やはり新兵は枝を折るのかと、おかしうございました。
 それよりなにより不思議なのは、北川のたった一発の弾丸が、命中したことでございます。あたしらは召集されてすぐ連れ回され、訓練なんぞ受けちゃあいません。銃を撃った経験をもつ奴など隊内に一人もないのです。まぐれでさえ、当りっこないんです。
 あたしが退テンしてきた後のある日、北川はボソッと、そのことをあたしに打明けました。それが奇しくも、八月十五日の夜だったそうです。
 どんな模様だったか、その時どんな気持がしたか、あたしには訊ねたいことがたくさんありました。けれども、北川はそれ以上なにも申しませんでした。

 昭和二十一年の八月に復員いたしました。翌年、東京の大学に入学いたしましたが、学業に励み、なぁーんてことはなく、とにかく腹が減ってしかたないので、アルバイトにいそしんでおりました。
 夏休み、こちらで進駐軍のアルバイトでも捜そうと帰省いたしましたとき、海水浴の浜辺で、偶然北川を視かけました。こちらは空腹のさなかでしたが、北川は友達らしき男と二人で、握り飯を食っておりました。そうなるとかえって、イヤァと気軽には声を掛けづらいものがあります。
 北川のほうから気づいてくれました。そればかりか、お前も食えと、云ってくれたのです。むろんいったんは遠慮しました。食糧難は全国民に共通でしたから。でも北川は二度も三度も勧めてくれます。で、ありがたくご馳走になりました。
 連れの男は呆れ顔で、どっかへ行ってしましました。まだ食えるだろう、もうひとつ食えと云ってくれます。いくらなんでもと思いましたが、ワシはもう食うたけん、と熱心に勧めてくれます。とうとうもう一個、ご馳走になりました。

 そのときあたしは、突然気づいたのです。なぜ握り飯を恵んでくれるのだろう、どんな気持からだろうと、あれこれ詮索しているのはあたしばかり。北川はなにも云いません。
 北川が発砲して、放浪新兵に命中した。今は握り飯を食えと、無心で勧めてくれている。たゞそれだけだ。どんな気持か、いかなる動機か事情か。言葉での理由づけを欲しがっているのはあたしばかりです。北川はなぁーんにも、云いやしません。

 八月十五日夜に北川を見舞った事実について、あたしはそれ以後も、想像し解釈し、自分流の尾ひれをつけちゃあ、人に面白おかしく語ってきました。なんてことでございましょうか。
 北川は撃った。命中した。それだけです。どういう気持だったかなんて、北川は申しません。云ったところで、どうしようもございませんですもの。
 北川は今、たゞあたしに、握り飯を勧めてくれている。ほかにはなにも云わない。あのときと同じです。理由、気持なんてものから逃れられずにいるのは、あたしのほうでございました。
 「事実」とは、解釈だの意味だの、理由だの気持だののいっさいを撥ねつけて、たゞそこに在るところの「事実」である。いかにも、さように違いございますまい。

 おあとがよろしいようでございます。【田中小実昌『ポロポロ』から②】

田中小実昌『ポロポロ』(中央公論社、1979)