一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

吉良常文学論(小説の起源①)五夜連続

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 お噺、物語――。自分とは異なる、そしておそらくは作者その人とも異なる人物が出てきちゃあ、あんなことこんなことして、こんなふうになる。これを小説というんだと、初めて知った日を、憶えておいででしょうか。
 思われませんでしたか。じゃあ「大説」はどこにあるの? てね。

 ♪  やぁると思えば どこまでぇやるさぁ
  そぉれが男のぉ 魂じゃないか
  義理がぁすたれば この世は闇だ
  なぁまじぃ止めるな 夜の雨(佐藤惣之助・作詞)

 映画『人生劇場』挿入歌でございましたが、村田英雄が唄って、歌謡曲としても昭和時代の大ヒット。今なお、カラオケでお唄いになられるご年配のかたも、おありのことでございましょう。
 原作はと申しますと、尾崎士郎『人生劇場』。昭和八年の新聞小説で、完結後出版されますと、ベストセラーとなりました。作者の自伝的要素の濃い作品で、今日では「青春篇」と称ばれ、大河長篇『人生劇場』の先頭部分となっております。
 さよう、「青春篇」の後も、「○○篇」「△△篇」と断続的に書き継がれまして、最終部分の刊行は昭和三十七年と申しますから、長ぁーく書き継がれたものですよねぇ。初めのほうは自伝的小説でしたが、次第に作者その人から飛び立ってゆきまして、任侠もの娯楽小説となってゆきました。

 主人公は熱血青年青成瓢吉。生れ育ちは三州吉良、いまの愛知県でございます。
 その昔は、忠臣蔵でおなじみ吉良上野介のお国元だったとして有名でございますね。三河湾に突き出した港町。海に面した地の利を活かすべく、塩を生産したい。すぐに巧くなんかできようはずもない。製塩先進地域といえば瀬戸内。教わりたいもんだ。播州の赤穂に頼んでみたが断られてしまった。
 当然です。封建時代は各藩自給経済体制。特産名産を育成して藩外と商売することで 藩の財政を維持しておりましたから、小藩赤穂にとりまして、製塩技術はいわば命綱。ちょっとやそっとの条件で、他藩への技術指導なんて、できようはずもございません。
 依頼と謝絶。この間のいきさつによる遺恨が、一連の後日譚のそもそもの遠因であろうと、忠臣蔵経済小説として眺める先生がたは、おっしゃいますね。
 スーパーのお徳用大袋で満足しておりますあたくしなんぞには、塩の良し悪しはとんと判りかねますが。

 瓢吉の父瓢太郎は、地元の旧家辰巳屋の大旦那。任侠心を標榜する親分肌のいわば豪傑。長男瓢吉を、情と正義感と度胸と無鉄砲、徹底した熱血教育で育て上げます。
 また子分の一人に、伝説の地元侠客吉良の仁吉の流れをくむ常吉がおりましたので、瓢吉の子守としてまた相談相手として、面倒を看させておりました。
 瓢吉長じて、東京は早稲田大学経済科へと進学いたしますが、青雲の志を満足させるにはとうてい足りぬ学内沈滞ムード。大隈重信公の銅像の脇に、大隈夫人の銅像を建てようなどと、いずれゴマスリ側近のおべんちゃらでございましょう。
 瓢吉おゝいに怒りまして、鼻っぱしら強い仲間を糾合いたしまして反対運動(学生運動ですな)を組織して、大暴れいたします。
 それやこれや熱血漢青成瓢吉の青春武勇伝、といったところが『人生劇場・青春篇』の内容となっております。

 さてその瓢吉が久しぶりに吉良常こと常吉と会話する場面。幼い時分を知る常吉には、たくましく成長した眼の前の瓢吉が眩しいようです。嬉しくてたまりません。
 「坊ちゃんは東京の早稲田とやらで、なにをお勉強なので?」
 「新聞記者になろうかと思う。ゆくゆくは小説を書きたいんだ」
 瓢吉の云うことならなんでも歓ぶ常吉が、ふっと表情を曇らせます。
 「なんだい常さん、浮かぬ顔して。どうしたい、云ってごらんよ」
 「へい、そんなら申しますがね。小説ってのが常にはどうも……どうせ書くなら、坊ちゃん、大説ってやつを、書いちゃくれませんか」

 あたくし昔から、この吉良常の台詞が、大好きでございましてねぇ。侠気(おとこぎ)と無学が織りなしてかもし出されたユーモア。申してしまえば、さようには違いありますまいが……。
 ですが皆さん、なんで小説なのでございましょう。『戦争と平和』『チボー家の人びと』『大菩薩峠』いったいいつ終るんだろうというほど長くても、小説なんです。
 いったい小説って、どういうもんなのでございましょうか。そもそもどういうものを称して、小説と称び始めたのでございましょうか。

 あまり多くのことを、いっぺんに申しあげるのも、お耳のお障りとなりましょうから、続きは次回ということで。
【小説の起源①】