一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暴虐

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 低気圧の居座りに加えて、台風一号の接近だという。一号ですぜ。

 ひと桁号台風なんてもんは、フィリピンをかすめても、台湾に近づくことすらなく、北東へと進路を急カーヴさせて、北太平洋へと消えてゆくもんでしょうに。
 日本人は毎年台風に見舞われ、警戒しながら付合ってきたとはいっても、それは台風君がふた桁号になってからの話でしょうに。それが今年は、北国ではまだ桜が散らぬというのに、天気概況の台詞に台風とは……。しかも年頭の第一号とは……。
 気圧動向とか、偏西風の流れ道とか、海水温度とか、黒潮海流の変化とか、とか、とか。たしかに地球規模での気象変動は、もはや疑う余地がない。

 都市空間にあっても、人間の眼に触れることもない小動物や微生物の営みは、絶えることない。園芸品種となりようがないほど小柄な植物たちも、ちゃっかり繁殖して毎年しぶとく姿を見せる。
 が、天敵がふたつある。ひとつは人間による「掃除」という気紛れだ。駆除名目で、あっけなく絶命させられてしまう。もうひとつは天候だ。拙宅周囲の小柄植物たちも、昨日今日の雨で、命を繋げられる保証はない。種族によっては個体をおゝいに伸長させるものもあるが、消滅するものもある。

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 なにせ恒常的に存在する大地に根をおろしているわけではないのだ。側溝にフタをしたコンクリート・パネルとアスファルト道路の隙間に、つまりは人間の作業が精巧なようでいながらじつは杜撰であるおかげで生じた隙間に、根をおろしたのだ。
 ひび割れのような隙間に、砂埃がたまり、恒常的な砂地のような顔をして常在するようになる。目視不可能の微生物たちも、抜け目なく活動を繰広げたのだろう。わずかずつながら、植物の養分となるものの含有量が増えていったのだろう。
 で、大きな個体では無理でも、わが個体を養うにはそれで十分だとする小柄植物がやって来たというわけだろう。

 しかし台風規模の大雨で強い水流でも襲来しようものなら、砂埃(失礼、砂)もろとも流されて、巨大な下水溝へと運ばれれてしまう。

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  ひび割れのような隙間であっても、深みにまで通じているのであれば、根の力で持ちこたえることも、あるいは可能だ。文字どおり根張り=粘りだ。
 だがしょせん深みに通じているはずもない、溝にすぎぬ環境に生きる仲間もある。この溝は、コンクリート材の表面に水がたまることを避けようとの狙いから、人間が意図的につけた筋にすぎない。水に対しても、風に対しても、抵抗力は弱い。散歩と称してふいに襲いかかってくる犬などは、宇宙からの怪物である。

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 水利に恵まれた環境には、より大量の水を要する種族が着地する。
 もとは水が豊富すぎ、水流が速すぎて着地できなかったのだが、うまい具合に人間による管理が粗雑だったおかげで、設備の底にたまった砂埃やゴミが泥と化して、水流を鈍いものとしてくれた。泥の表面が、中洲のごとく水面上に出現する場所すらある。そうなれば、植物としては着地可能だ。
 水分補給・水はけともに天国。もともと不純物豊富な水流の通り道とて、微生物の活動現場としても最適地で、泥はたちまち肥沃となった。

 難点は、環境が良すぎることだ。この環境に適した、やゝ大型個体の種族が着地する。人間の眼に着きやすい。見逃される可能性が薄い。
 このともがらも早晩、暴虐なる人間の手に掛って、命果てることとなろう。その前に、さっさと子孫の可能性をばらまいてしまおうと、目下のところ、彼も必死である。

 それにしても、この時期に台風とは。暴虐の嵐とは、よくぞ申した。