一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

シャン!

桜はさっぱりと調髪完了。花梨は只今散髪中。

 一昨日、植木職の親方に入っていたゞいた。昨日は曇天で、一時雨も降るとの天気予報だったので休み。本日はからりと晴れあがり、下草処理も含めて、すべて完了の予定だ。お若い衆との二人三脚で、まことにお見事な手際だ。明日からまた空模様が怪しくなるとのこと。まさにこゝしかないという、絶好の一日。

 年に一度、親方に入っていたゞくたびに、恥入ることがふたつある。
 ひとつは、草引き・下草刈りがまったくできていないことだ。樹の根元周りを埋め尽すフキ、ヤブガラシ、その他の下草類、老樹の幹の小さな節からも年々吹きだすひこばえなど、ヤル気さえあれば、素人にも始末できぬではない作業だ。にもかゝわらず処理できていない。
 時間が足りず、手が回らないというのが私の気分。だが客観的に眺めれば、私のヤル気が不足しているにちがいない。

 「そんなことにまでお手をわずらわせて、申しわけございません」
 「いやぁ、だからこそアタシらの仕事があるんで。仕事を奪わんでください」
 毎年、親方は笑ってくださる。が、汗顔の至りである。

 恥かしきことのもうひとつは、お接待がなにもできぬことだ。
 母が元気だった時分には、植木職のみならず大工だろうが電気工だろうが、職人さんが入る日の十時三時には麦茶が出せた。ごく濃いめに沸した麦茶を大ヤカン(ほれ、昔ラグビーの試合で魔法の水と称したやつ)にたっぷり入れ、拳大ほどもあるデカイ氷をいくつも放り込んだ。職人さんがたが作業しているあいだも、片隅のヤカンの表面からは水滴が消えなかった。

 母が床に着くようになって、習慣はいゝ加減になった。母歿して、私が父の介護に忙殺される頃には、習慣はまったく消滅した。二十年ぶりに今、無理やり復活させようとしたところで、ペットボトルに紙コップ……ではねェ。
 だいいちお若い衆は休憩時に、自販機の缶入りクリームソーダを飲んでいらっしゃる。

 陽気が好くなってくると、動きやすい気分になるのは、だれしものこと。大手不動産・建築会社の営業さんが、二社も立寄られた。ご両名ともむろん初対面ではない。しばらくぶりでこちらを通ったのでちょいとご挨拶、などとおっしゃって。
 道路拡幅計画の用地買収がだいぶ進んで、ご近所に金網空地がめっきり増えましたが、そろそろお宅もいかゞでしょう、というわけだ。
 「ご覧のとおり、今日は親方に桜の面倒を看ていたゞいてましてね」
 怪訝な顔をされてしまった。お一人なんぞ「えっ、桜、ありましたっけ」とのご返事。夢中でお仕事の若者の眼には、入らないのだろう。お二人ともに、私の申しあげよう(台詞)は通じなかった。

 東京都が勝手に道路用地と決定してしまった土地に、拙宅の老樹が立っている。それを玄人の職人さんが、今、手入れしてくださっている。あなた、ご覧になったでしょう。それはネ、当面動く気はありませんよという意味ですよ。少ぉ~し、頭を巡らせてくださいましね。

シャン!