一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

境界

 お向うの、粉川さんご門柱脇のクローバ。開花直前のツボミ状態だし、花が売りの草でもないから、気づきにくい。生きてるうちに、しかと眺めておこうという気にさせられる。

 学生諸君を誘って、駒場日本民藝館の展示を観に行ったことがあった。近現代や西洋を扱う美術館なら若者の眼にも止りやすかろうけれども、こういうものには気づきにくいかもしれない。一度案内いたしてさえおけば、眼に止りやすくなろう。興味が湧けば、自分独りで出掛けることにもなろう。
 古書店を巡って散歩する。骨董市・ガラクタ市を冷かして歩く。すべて同様で、情報だの画像検索だのではなく、足を使って肉眼で観て歩く愉しさを、若者に体得して欲しくて、お誘いするわけだ。

 日本民藝館を出て、脇道へ入り、駒場公園で休んだ。東京大学駒場キャンパス同様、旧前田家の別邸跡地だが、今では東京都の管理下にあって、映画でしか観ないような堂々たる洋館と庭園とが残っている。敷地内に、日本近代文学館も建っている。日本近代文学専門の図書館で、名著復刻の出版活動もしている。
 さて中央の洋館だが、かつては「近代文学博物館」と称する展示館だった。樋口一葉の肉筆原稿なども、私はそこで観た。しかし維持管理の面では金食い虫だったのだろう。ある時期に文学展示はされなくなり、今では明治の貴族家洋館の風情を窺うだけの見学施設となっている。
 東京都の財政見直しにより、文学博物館の廃止を決定したのが、石原慎太郎都知事だったことから、当時はいくばくかの意見が飛び交ったものだ。先輩文士たちを敬わぬ石原のバチ当り野郎が、というわけだったのだろう。むろん石原さんは、そんなかたではなかったろうけれども。

 若者たちが洋館内を見学しているあいだ、かつていく度も内部を拝見していた私は、庭園に休んでいた。それぞれのペースで見学し了えた若者たちが、順不同に庭へ出てくる。私は庭の隅の、芝生の切れたあたりに群棲するクローバを眺めて、しゃがみこんでいた。
 「先生、なにしてんの?」
 「うん、四つ葉があるかと思ってサ」
 「キェーッ、らしくねえ~」
 大学新聞主催の懸賞小説ほか、学内で獲りうるあらゆる賞と総なめにしている、威勢の好い女子だ。
 「まったくだ。でもな、俺やこんなメンツと散歩してるから、そう云って平気でいられる。彼氏と二人で散歩してたら、お前だって探すんじゃねえかな」
 彼女は、しばし黙った。
 「たしかに……」と、やおら小声で呟いた。

 「みんな私を褒めてくれるのに、多岐先生だけが、褒めてくれない」
 彼女は日ごろから、口を尖らせていた。
 「お前は反応が速い。手も速い。でもな、お前の眼からは気の利かぬドン臭い奴と見えるのが、じっくりコツコツ積上げてきてな、ゴール前一気のサシ脚で抜いてくることもあるぞ。油断すんじゃねえ」
 私はさように云い続けていた。
 「新人賞くらい、獲らいでか。先生を、芥川賞の受賞パーティーに呼んであげるから。絶対に来てよね」
 まぁ、その意気軒昂たるはよろしいと、思いはしたけれども。
 本日たゞ今にいたるまで、まだ招待状は届いていない。

 粉川さんのお隣、つまり拙宅筋向うにあたる、音澤さん駐車スペース脇のクローバ。往ったり来たりしつゝどう眺め返しても、粉川さんご門柱脇の一団と兄弟だ。道路沿いに風が流れて、同じ経緯でこの地に着地したとしか、考えられない。
 ところがである。道を挟んだ拙宅のクローバとは、明かに葉の形状にちがいがある。それに拙宅の連中は、すでに花を終らせている。

 風の向きと道路の方向。こんな狭い世界にも、種族と文化の相違がある。幅わずか五メートルの一方通行路は、彼らにとっては容易に越境できる境界ではないということなのだろうか。