一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いかん!

 老眼鏡を買い足そうかと考えている。

 四十歳過ぎたころから、老眼が始まった。幸いにして近視の遺伝形質を持たぬ家系なので、サングラスを除けば、その齢まで眼鏡とは無縁に過してこられた。それだけに、初期老眼の特徴である、まだら老眼の乱視併発による、不便感はことのほかだった。
 近視と長年付合ってこられたかたがたは、眼を細めたり光線の方向を意識したり、見えにくいものもなんとか調節して視てしまう技術を身に着けておられて、初期老眼に対しても抵抗力がある。が、人生初の不自由感に見舞われたものには、技術も抵抗力もない。

 初めはイワキメガネへ赴いて、なにやら大きな機械で時間をかけて、老眼と乱視の程度をくわしく検眼してもらい、特注レンズをあつらえ、見合うフレームを選んでもらった。たいそうな金額となった。
 それは大富豪のみがする、身分違いの行為だとすら、知らなかった。むろん今からは夢のような噺だ。

 いつのころからか、池袋のある眼鏡屋の定連となった。バッタ屋と悪口を云われるような廉価眼鏡店である。大手の安売りチェーン店ではない。卸価格販売店と称ぶのだろうか。型落ちの在庫一掃品やら、生産調整品やらが主要商品で、つまりは最新流行ではなくとも品質はまずまずという品物が、信じがたいほどの安値で買える。
 難点は、品揃えが安定していないことだ。あれもこれも欲しくなるような商品が、ドッと出回るときがあり、かと思うと急な入用が生じて駆け込んでみたら、どれもこれも食指の動かぬものばかりだったりすることもある。
 日ごろから散歩途中に気軽に立寄って、冷かし半分に眼配りしておくのが、上手な利用法だ。

 で、買物をするさいには、やゝ度の弱い疲れぬ普段使い用と、シャープに度の合った読書専用と、鞄に入れっぱなしにするスペアとの計三本を一度に購入したりする。サングラスも買ったり、置き忘れ予防に眼鏡を首から提げるチェーンなど附属小物を買い足したりもするから、店員さんの何人かとは顔馴染である。
 レンズ洗いのセットや眼鏡ケースなどを、おまけにくださる。

 この疫病騒ぎで、冷かしに寄る機会がまったくなかった。今お店が、また商品が、どういう状況か、まったく不案内だ。にもかかわらず、入用が発生してしまった。
 普段用が一部傷んだ。読書用がこのところ視当らない。外で紛失もしくは置き忘れた形跡は思い当らない。家の中のどこかにはあるのだ。が、さて、どこにあるかが判らない。そのうちに出てくるサ。あゝ無意識にこゝに置いたんだったという日が来るにちがいないと、もう半月も様子を視ているのだけれど、出てこない。今はスペアを使っている。
 で、出てきたら出てきたでよろしかろう。だいぶご無沙汰していることだし、例の眼鏡屋へでも行ってみるかという気に、今朝なったのである。

 となれば、ゆっくり炊事してチャント飯を食べている時間が惜しい。冷蔵庫の野菜ラックも冷凍庫もスカスカになっているから、午前中に買物を済ませよう。黄金週間中にもかゝわらず川口青果店が開けていてくれたから、大助かり。
 ビッグエーでは、定常補充に加えて「半日分緑黄色野菜弁当」(税抜き297円)タイムセール20円引きを買う。
 帰宅してとり急ぎ、酢の物と玉子と納豆、弁当を再加熱して即席食事。自分とはまったく異なる味付けの温野菜を噛みしめ、粥ではない炊込み飯をゆっくり噛んで食事していると、なにやらすっかり外食気分である。

 このまんま、池袋まで出掛けるのなど、やめにしちまおうか。いやいや、それはいかん!