一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

定義不足

 この数式の答えは?
 河野玄斗さんのチャンネルで、興味深いことを教えていたゞいた。

 答を「9」とする人と「1」とする人とがある。素朴な疑問に出発して、世界の数学者たちを二分する論争にまで、発展したのだそうな。計算機に問うても、「9」と答える計算機も、「1」と答える計算機もあるという。
 玄斗さんによれば、算数的思考と数学的思考の錯綜だとおっしゃる。

 算数の四則約束事を思い出せば、
(1)カッコ内は先に計算する。
(2)×、÷、が先、+、-、が後。
(3)×、÷、を複数含む式では、左から順に計算する。
 したがって出題の式は、6÷2×3 と書換えることが可能。左から計算して、答は「9」である。

 ところがもし、6÷2a だったら、答は、a分の3(ただしa≠0)、ということになる。
 そこで、a=(1+2)を代入したら、答の(a分の3)は「1」となる。これが数学的思考だとおっしゃる。
 6÷2a の「2」は不定数「a」に付いた係数であって、「2a」でひとつの数字と考えられる。もとの式でも、2(1+2)の左の「2」は係数であるとするわけだ。

 しかし、係数とは不定数を表現する記号(文字)だからこそ登場するのであって、すべて数字で表された出題式には、登場しえないはずだというのが、算数的立場である。
 四則の理論を確定させた論文は、1919年に出たというが、そこではこの、係数の存立範囲如何という問題は、定義されていないという。

 結果として、出題式に対する解答は、「定義不足」「解不能」と記すのがもっとも妥当だという。世界の数学者たちを巻込んだ論争の落しどころも、さようなことになったという。
 もしこの数式を試験問題に出したりすれば、出題者の見識が問われることになる。定義を明確に示して出題しなければならぬ設問だそうだ。
 ちなみにグーグルの計算機に掛けると、機械が勝手に 2とカッコのあいだに×を挿入して、6÷2×(1+2)と書き加えて、「9」という解を出してくるそうだ。つまり、機械が定義を補足してから演算したのである。

 以上が、河野玄斗さんからのお教えだが、相似的な問題は当方にもあると、思わぬわけにはゆかなかった。
 作者の表現に嘘がないとか、人間の本性を暴きえているとか、読者の考えになにがしかを提供しうるとかの価値が、芸術には可能だとの主張が一方にある。他方には、愉しめなけりゃ、売れなきゃという主張がある。芸術といったって大衆文化の一分野なのだから。
 双方ともにごもっとも、一理ある。その問題を、「高級な愉しみ」という複合概念を設定して、一流の作品は高尚でもあり娯楽的でもある、などと云いくるめてきた気がする。じつは定義をおろそかにしてきたのではないか。やり過し、先延ばしにしてきたのではないかという気が、ふと胸をよぎった。