一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

蹉跌


 どんな些細なことにも、飽きがくるというときはあるようで。

 いつ頃までだったろうか、瓶入りのインスタントコーヒーをスプーンでカップにとり、湯を注いでいたのは。すいぶん長い年月、さようにしてきていた。
 お若いかたの嗜好の多彩化によるのだろうが、オレだの、ラテだの、ハーフアンドハーフだの、良く申せば細やかな、悪く申せば中途半端な飲料がお洒落系喫茶店に氾濫して、目新しもん好きの眼を惹いた。
 企業がこれをビジネス・チャンスと捉えぬはずはなく、自販機用の缶入り飲料もペットボトル飲料も、あれよあれよの間に商品アイテムが倍増した。当然ながら、インスタント飲料にも、その趨勢が反映せぬはずがない。

 TVチャンピオンじゃあるまいし、マニアックに詳しくなる気はしない。しばらくの間はわれ関せず。スプーンでとった顆粒状の珈琲に、白湯を注いでいた。
 ふとした気の迷いか、あるとき手に取ってみた。砂糖もミルクも不要。というより、すでに仕込まれている。つまり味はすべてメーカーにより決定済み。あとは水分のみ。ふぅむ、ワタナベのジュースの素や永谷園のお吸い物と同じか。あのカルピスでさえ、自分で濃度調整するというのに。

 一商品を手に取ると、もういけない。わが町のスーパー・コンビニに並ぶ商品を、ひと通り試してみたい欲求に駆られた。旧い歌謡曲よろしく、これが苦労の始めでしょうか。
 一箱に、スティック状の小分け袋が、二十数本も入っているのである。珈琲飲料だけでも、三百杯は飲まねばならない。一巡したころには、最初の商品の味など憶えているはずがない。採点ノートを作って、記録しようか。それもこだわり過ぎの感がする。
 全商品からまずそれぞれ一本目を取出して続けて飲み、一巡したら各二本目に移るという方法を採るか。それには全商品を一度に買い揃えなければならない。商品特性からいって消費期限には問題あるまいが、それよりまず自分自身に信用が置けない。途中で気が変ったり飽きたりして、調査中止を判断することにでもなったら、その時点での手持ち在庫をどうするか。

 待て待て、こゝは冷静に……。
 大手メーカーの開発研究室。会社としては社運を賭けての新商品開発だったことだろう。スタッフ一同にとっては、社内立場や将来のサラリー安定を賭けて、息詰まる実験と試行錯誤の日々だったことだろう。
 加えて営業部の販促担当がいて、スーパーやコンビニ本部の仕入れ担当がいる。遜色ある商品が、そうそう棚に並んだり、私ごときの眼に止ったりするはずもあるまい。
 こゝは一番肩の力を抜いて、緩やかになだらかに一箱づつ、一商品飲み了ったら次は別商品を買ってみるという、ごくフツーッの態度が正解なのではあるまいか。

 案ずるよりなんとやら。三箱目が四箱目に、ネスカフェゴールドブレンド・カフェラテと出逢った。私勝手な呼称「黄箱」である。
 軽い。食後のひと休みにうってつけだった。味の相性も合った。で、こゝ二年近くは、これ一本に絞ってきたのだった。目移りの必要を感じなかった。満足とは自己満足の謂いであると、自分に云い聞せてきた。

 蹉跌は己惚れに忍び寄る。まさしく。
 味わう当方の老化が計算に入ってなかった。味覚がというより、内臓が老化してきたのだろう。日に三杯も四杯も飲むうちに、気が進まぬようになってきた。ひと頃ほどの欲求がなくなってきた。
 気紛れな試しで、スーパーの棚で隣り合っていたミルクティーに手を伸ばしてみた。私勝手な呼称「ピンク箱」である。ところがだ。珈琲よりもっと軽く、飲んで楽だ。

 この齢まで、紅茶趣味をもったことはない。高級な紅茶のご進物に与っても、そんなにお気を遣わず、あたりまえの庶民的インスタント珈琲でよろしかったのにと、内心では思ったものだった。『相棒』であれば、「右京さん」から厳選茶葉の紅茶をご馳走になるより、「亀山君」と珈琲をご一緒するほうを選んだろう。
 その私が、である。インスタントのミルクティーは、軽くて、甘くて、楽だ。目下併用中だが、出番は徐々に接近、いや逆転しつゝある。
 たかがひとり飯の食後の一杯。こんなところにも、老化の推移は顕れる。