一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ハブ樹木


 道路を挟んで拙宅の筋向うにあたる音澤さんのお宅は、ゆかしき意味で自由放任のお宅だ。政党からポスター掲示の願い出があると、差障りでもない限りは許可していらっしゃるらしい。国家権力政党も泡沫政党も差別しないというかたちで、不偏不党を表明しておられる。私にはとうてい真似のできぬなさりようだ。

 庭木にたいしても姿勢は一貫しておられて、人さまによっぽどのご迷惑が及ばぬかぎりは、植物の生命力のなりゆきに委ねておられるようだ。
 花や葉が道路に降り散ることでもあると、夜明け早々にご主人みずから、箒と塵取りで掃いておられる。枝があまりに道路へ身を乗出したときには、高枝伐り鋏を持出されて、チョキチョキやっておられる。物干竿の先端に鋏が付いていて、綱を引きながら操作する道具だ。一時期、通販広告でよく視かけたが、今でも人気商品なんだろうか。

 ご門内、お玄関までのわずかな広さに、花が咲くもの実がなるもの、数種類の樹木がちょうど好い具合に、外からの視線からお二階の窓を覆い隠すように繁っている。
 もっとも丈高いのはたぶんネズミモチだろう。実を着けるものだから鳥たちの食糧となり、どこからか運ばれてきて芽を噴く。実生の苗だ。

 拙宅敷地にも四株五株生えて、邪魔にもならぬかと気にせずにいたら目覚しく成長して、二十年も経たぬうちに一階天井くらいの高さにまで成長して、枝葉を逞しく繁らせるようになってしまった。で、玄関脇の門番一株を残して、すべて伐り倒した。
 絶命させる薬剤を切株に塗布してはみたが、成木の生命力は侮りがたく、今でも切株からひこばえのごとき細枝を出してくる。眼を離さぬよう心掛けて、生い繁るまえに剪定鋏を使わねばならない。

 音澤さんのご主人は、私より鷹揚だ。寛大である。ネズミモチを主木とする数種類の樹木はあい俟って、お二階の窓から、うっかりすると屋根までを覆いかねぬ勢いだ。
 ファミマの帰りに交差点でしばらく立停まって、しげしげ観察したところによると、どうやらこゝが現在、あたりを飛び交う小鳥たちの、ハブ樹木となっているようだ。

 梢あたりがちょうど二階家の瓦屋根の高さほどだが、そのあたりはヒヨドリが何羽も飛来して、鳴き交す。挨拶か情報交換か。こゝから四方八方へと翔び発ってゆく。
 樹木の中ほど、一階の軒びさしの高さあたりはスズメのコロニーである。餌となるモチの実には不自由ないはずだが、なぜか子スズメたちは、車や人の往来の隙を窺いながら、アスファルト地面へ降りてきて、信号機の足元あたりで餌をついばんでいる。完熟して地に落下した実のほうが美味いのだろうか。それとも枝上で食事するのでは、足場が悪いとでもいうのだろうか。

 スズメよりほんの少々小型の鳥も混じる。メジロでもシジュウカラでもない。それらなら私にだって、すぐに視分けがつく。
 高層の梢領域にもヒヨドリ以外の鳥が混じる。ムクドリではないようだ。ツガイで行動しないし、脚もオレンジ色ではない。形と色からするとオナガでもない。とくに調べてもみないが。
 ハトも通りかゝるが、電線やベランダの手摺が専門で、樹木の中へはめったに入って来ない。

 季節がら、ツバメも姿を現した。巣造りの材料集めだろうか、それともすでに子育てが始まっているのだろうか。いやその前に、どこに巣を架けたのだろうか。拙宅敷地内には外敵の心配もなさそうな軒下もあるのだが、ツバメの巣が架かったことはこれまで一度もない。
 いずれにせよ、鳥たちが中継地の立寄り所とし、餌場とし、安全地帯としている樹木の集りだから、虫も湧くことだろうし舞うことだろう。ツバメにとっても視野に置いておくべき場所なのだろう。三回四回と旋回してから、どこかへ翔んでいった。

 それにしてもツバメは、どうしてあんなに、羽ばたきもせずにスイスイと滑空できるのだろうか。それに比べてスズメは、どうしてあんなに、短い移動にもパタパタ羽ばたくのだろうか。
 まさかお互いが見えていないはずがあるまい。アイツらの大家族が来ているナ、アイツが来る季節になったカ、と解っているだろう。が、張りあうのを視たことがないし、意識しているようにもついぞ見えない。互いを、どう観ているのだろうか。

 俺は、なにを今さら子どもじみたことをと照れるが、ツバメのように生きるつもりでスズメのように暮しちまったかと、青信号を待つあいだに、ふと想う。