一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

うちのひと

渡辺達生撮影、墨田ユキ写真集『MADE IN JAPAN』(ワニブックス、1993)より
無断で切取らせていたゞきました。

 男から視て都合の好い女、と片づけてよろしいものかしらん。いえね、『濹東綺譚』のお雪のことなんですが……。

 墨田ユキさんは、新藤兼人監督の映画『濹東綺譚』のお雪として、突如として現れたという感じだった。それ以前のレースクイーン時代や脇役女優さん時代を、私はまったく知らなかった。この作品にちなんで、芸名を変えたということだった。
 お雪役で、いくつかの新人賞や女優賞を受賞し、忙しくなん本かの映画やTVドラマで引っぱりだこになり、数年後に芸能界から去っていった。

 『濹東綺譚』以前には時代劇の脇役が多かったようだ。『濹東』以後の引っぱりだこには、サスペンス系、極道系、くの一系など、素人ならぬ女性の役どころが大半となる。お雪のイメージがあまりに強烈で、その延長線上のオファーが殺到したということだろうか。
 写真集が四冊残る。私の手元には三冊しかないが。いずれもヌード写真集であり、当時そんな語もあったヘアヌード写真集でもある。

 妖艶な肉体美を誇る女優さんではない。むしろ華奢な体躯と純朴な面持ちの女性だ。外見ではそういう女性が、はすっ葉な物言いでてきぱきと事を運んでゆく、そのミスマッチが新藤兼人映画では独特な色気をかもし出していた。闊達にたくましく生きる女の背後に、薄幸に生い立った身の上が、語らずとも透いて見える仕掛けに成功したわけだ。
 だからといって、その後もエロチックな路線でというのは、筋違いだったろう。そこへゆくと渡辺達生さんの写真集では、さんざんぱらエロチシズムを表現したあげく、最終ページ納めのワンカットには、それまでの全ページとはガラリとおもむきを替えた、憂いげな着衣の一枚を配してある。写真家やアートディレクターは資本からのオーダーとは別に、モデルの本性を視抜き、表現したのだったろう。

同上。

 小説家大江匡(ただす)は目下構想中の作品の舞台を取材に(シナハンですな)、京成線玉の井の銘酒屋街、いわゆる私娼窟をほっつき歩いていた。進歩の名のもとに軽薄となりゆく世相から顔を背けている大江には、かつて馴染んだ銀座も浅草も、今では疎ましい。
 そこへゆくとこゝ玉の井の空気には、震災前の盛り場の匂いがまだ漂っていた。ふいの夕立がきっかけで、お雪と知合い、馴染となる。いまだに日本髪に結っている女は、玉の井にも指折り数えるほどしかいないが、お雪はいつも島田つぶしに結い上げていた。

 この時代(昭和十年~十一年ころ)から視ても、すでに過去となった時代の残り香ふんぷんたる、空気と情緒と女を描いたのが『濹東綺譚』だった。
 客商売の女といってもお雪の心根はまっすぐけな気で、判断はまともである。馴染むにつれて、「年季が明けたら、わたしをおかみさんに、してくださいねぇ」などと云い出す。こんな街をうろつく、ちょいと物知りげな年寄り大江のことを、きっとエロ本出版屋にちがいないと、お雪はひとり決めしている。
 大江にはそんな気はない。身を引く時がくる。前触れも挨拶もなく、大江は玉の井から消える。徹底した個人主義永井荷風の面目躍如たる薄情さだ、冷酷非情さだと、古来甲論乙駁絶えぬ部分である。

 その問題は今は措いて、お雪の人間像である。ざっくばらんで気ばたらきが好く、常識もあり、男によく尽す。情は細やかだが未練たらしくはない。男から視て、まことに都合のよろしい女だ。新藤兼人脚本・監督の映画では、お雪のさような人柄が、原作以上に強調されていた。
 新藤監督の生涯全作に一貫するモチーフ。それは「母恋い」である。
 「いつも顔も手もまっ黒けにして働いてたお袋にアイラブユー、私にはこれ以外にはありません」
 監督へのインタビューで、私は直接ご本人から伺った。もっともその場には、吉永みち子さんもおられて、夫へ向けた吉永さんの想いと母へ向けた監督の想いとを、重ね合せて伺ったのだったけれども。

 時代に背を向けた反骨も、庶民階級のうらぶれたエロティシズムも、そありゃあ『濹東綺譚』にちがいない。だがそこから、あっけらかんとして清らかな母性を引出して観せた新藤兼人映画は、たしかにひとつの創意だった。
 墨田ユキさんは、それを表現するにうってつけの女優だったし、お見事にやってのけられた。

奥 舜 撮影、『写真集 墨田ユキ』(徳間書店、2001)より、
無断で切取らせていたゞきました。

 馴染んでしばらく経って、互いの間合いが定まってきたころ、
 「ねぇねぇ、友だちには、あなたのこと、なんて紹介しよっか?」
 「どうでもお好きに。でも希望を云えば……うちのひと、かな」

 そんな台詞を口にした時代があった。借物のキザだなと、自分でも承知していた。身も世もあらぬ夢中の恋心などは、とうに湧かなくなっていたから、「どうでもお好きに」は嘘ではなかった。かといって、この女と離れたくはないとの執着心はまだ醜く残っていて、余人の介入を許さぬ二人のあいだだけに漂う空気を、維持したい気持は強かった。
 「うちのひと」を所望したのは、そんな齢ごろのことだ。たいては「馬鹿みたい」「趣味悪ぅ」「あなたいつの人よぉ」などの反応が返ってきた。

 新藤兼人監督作品『濹東綺譚』で、ふっつりと姿を消した大江を、お雪が捜し歩く場面がある。日ごろ立寄りがちの店の暖簾を分け、
 「ねぇ、うちのひと、伺ってません?」
 その墨田ユキさんの声と表情が大好きだった。