一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

遠くまで


 片方のテンプル(つる)が壊れてしまって、捨てられたらしい。枯葉やゴミがきれいに掃かれてあるところを視ると、さほど時間は経っていない。

 逃げる相手に追いすがって、いきなり顔面を殴った。そのまま連れ去られた……。サングラスをかけて逃げていたほうが容疑者で、殴ったほうが警察官であれば、裏づけ証拠となるかもしれぬ眼鏡を残してゆくとは、考えられない。となればやはり、複数犯人の仲間割れか?
 ひとつだけはっきりしている。安手のサスペンス・ドラマの観過ぎである。

 往来ですれちがって、互いに会釈しあう間柄のご近所さんは少なくないが、立ちどまって言葉を交しあうかたはと考えてみると、同年配かそれ以上のお年寄りがほとんどだ。ご近所にお住いのお若い友人や、飲み仲間は、ほとんどない。
 年配者との立ち噺となると、互いの健康状態を訊ねあうほかに、町が急速に変化してきたとの、怖れとも不信ともつかぬ慨嘆がある。
 「まったく、わけの判らない人が増えちゃって……ねーぇ。外人さんも増えたし」
 となる。

 外国人住民への差別意識というような、大袈裟なお気持ではない。マナー違反の日本人だって多い。たゞどういうご職業の、いかなるかたとも存じあげぬ新住民が、近年急速に増加傾向にあることにたいする、単純な戸惑いだと思われる。
 無理からぬお気持とはお察し申しあげるが、いたしかたもない。べつだん新住民がたの責任ではない。

 今のところ、わが町唯一の高層マンション。一階は、明るく清潔そうなクリーニング店が開業。二階以上はすべて住宅らしいが、かねて存じよりの地元のかたがこゝへ住替え入居されたという噂を聴かない。ということは、いずこかからこの町へ引越して来られたかたがたの集団だろう。
 商店街でご商売のかたがたにとっては朗報なのだろうか。だが遠くまでお仕事に出ておられる新住民がたであれば、深夜営業や二十四時間営業のスーパー四店舗と、十店舗近くもあるコンビニで、日常の用が足りてしまうのではなかろうか。

 今は昔の昭和時代、たとえ亭主が鮨づめ満員電車で働きに出てしまったところで、スーパー・コンビニはなかったし、子どもたちはごちゃごちゃいたから、商店街と学校保護者会を介して、奥さんがたの情報量は凄まじく、結果として、ご挨拶を交したことなく顔すら存じあげぬご近所さんのお噂も、自然と耳に入ってきたものだ。

 思えば私自身だって、自らのなりわいについて、ご近所さんにうまく説明できた試しがない。地元のかたに裨益した場面も、一度とてなかった。
 あの人、ちょくちょく視掛けるけど、なにしてる人? 陰ではずいぶん怪しまれたことだろう。
 「出版だってサ、雑誌かなんか作ってんじゃないの」「あゝ、『小学一年生』とか?」「講談社とか文藝春秋とか?」
 やれやれ。
 「なんかサァ、大学で教えてるらしいわよ」「えゝっ、先生なのォ、アレでぇ」
 違いますよ、まったくね。
 「作家になりたい学生さんに、なんか教えてるんだってサ」「どうしてよォ、自分が有名でもないくせにィ」

 そうこうするうちに年月が経って、深く関りさえしなければ人畜無害なるイキモノだ、詮索するにも及ぶまいと、片隅に置かれて黙認されるようになってきたのだろう。いや黙殺か。
 五十の坂を越えて、看病・介護を柱として暮すようになり、子もないからそれまで保護者会とも無縁に過してきた私は、ようやく本格的な商店街デビューを果した格好だ。
 しかしね皆さん。おゝかたの皆さんより古くから、この町におりましたんですぜ。

 新住民のなかには、私なんぞには見当もつかぬほど、遠くまでお仕事に出られるかたも多そうだ。どこでどういうお仕事をなさっているかたがただろうか。今はまだ、あの人誰? なにしてる人? の段階かもしれない。が、なん名さまかは、ゆくゆく町の中軸となってゆかれるかたがたなのだろう。
 それまでどうか、かりにお腹立ちのことがおありでも、サングラスを捨てたりなんぞ、なさらないでくださいまし。