一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

全冷中

 「全冷中」をご記憶のかたも、少なくなってきたろうか。正式名称をたしか「全日本冷し中華愛好会」と云った。

 学園紛争の余燼すら感じられなくなり、ベトナム戦争も終息に向うかというころだった。ピアニストの山下洋輔さんが、ある蕎麦屋冷し中華をご注文なさった。年明けそうそうだったらしい。季節メニューなので、今はお出しできぬと断られた。
 憤慨した山下さんは、新宿の行きつけ酒場へとって返し、憤懣をぶちまけた。生ビールだってアイスクリームだって、真冬にも食べられる。食べたい客もある。冷し中華は不当な差別を受けている。「差別」が流行語のようになっていた時期だった。

 店名を出せば、あゝアソコと思い当るかたもあろう、ご定連には赤塚不二夫さんや筒井康隆さんや、坂田明さんや黒鉄ヒロシさんや、まだまだたくさん、いわば当代きってのパロディー好き、面白がりの才人らが集う店だったから堪らない。新視点からの意表を衝く珍説が次つぎ披露され、味覚の地政学階級差別意識・男女比較説・文化論的考察・思想史的概観……ついには天皇制に起因する問題と、噺はどんどん盛上っていった。

 ついには、これこそ「運動」であり「革命」であるという噺となり、「全冷中」発足の設立趣意書を店内に貼り出し、山下洋輔さんが初代会長に就任なさった旨を告知し、仲間うちでの元号を「冷中」と改めた。
 会にはいくつもの学派が存在したらしい。バビロニア起源説、教条派(食べかたの順序作法に厳密な一派)、トコロテン同様に冷し中華は飲物説、神秘派(冷し中華による幽体離脱を志向する一派)などなど。

 大きなホールを借りて、大会だったか総会だったかを開催した。顔ぶれが顔ぶれだけに、ラジオ深夜番組などでの告知効果は凄まじく、多数の若者観客が押しかけた。
 そりゃこの顔ぶれのトークや、裏芸だもの。歓ばれぬはずがなかろう。大会席上では、突如山下会長の辞任が発表され、筒井康隆さんの二代目会長就任が発表されたという。
 顔ぶれには、まだ無名だったタモリさんもいらっしゃって、先輩才人がたの狂態をつぶさに観察して記憶にとどめ、後年面白おかしく再現して見せたものだった。
 
 私は会場へは赴かなかったが、消息を聴いて面白くも羨ましくも思った。有名になりたいとの野心は、つね日ごろ持合わせぬほうだったが、この時ばかりは、かかる冗談才気がサマになってしまうという点では、有名も好いもんだなぁと思った記憶がある。
 後年、高梨豊さんや赤瀬川原平さんや、秋山祐徳太子さんらの「ライカ同盟」に感心したときにも、似た感想を抱いた。

 スーパーかコンビニでの買い食いで済まそうというとき、妙に飾り立てて付加価値を強調したものよりは、素朴で実のある弁当かおにぎりを選ぶことが多い。麺類は、まず買わない。素朴な麺類であれば、自分で茹でても似た味だし、安上りだ。
 唯一の例外は、冷し中華である。これだけは、自分でこしらえるよりも美味いものが食える。

 ファミマの棚を視ると、夏向け麺類分野が、じつに多彩な展開・発展を見せている。冷し中華だけでも、胡麻だれ・豚骨・あっさり醤油の冷しラーメン。それに盛岡冷麺・焦がし玉葱。和風の冷したぬき・冷しキツネ、そのほか。
 ひととおり試してみようか、との思いを抱きかけたことがある。が、ほんの二つ三つ試したところで、企てを放棄した。醤油と酢による定番「冷し中華」以上にでかしているとは、感じられなかったのだ。

 全冷中の時代から、私も冷し中華が好物だった。山下さんのように真冬にも注文するほどではないが。
 甘めの酢醤油の味は、今や舌に懐かしい季節感となっている。私はこれ以上を望んでいない。これで結構だ。
 味覚の面でも、老人は進取の気概減退し、過去の記憶に生きる傾向顕著となることの、これも一例であろうか。