一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ひとまず

 あのね玉葱君、もしもし聴いてますか? もしかして自分をカボチャかなんかと、勘違いしてやしませんか? ずいぶん育ちましたねぇ。ま、おゝいにけっこうではありますけれど。
 笑ってる場合じゃありませんよ、蕪君。君だって他人事じゃありません。そんな大きな仲間を、八百屋さんでは視かけませんよ。

 愉しみと健康法をかねて、畑仕事に精を出す、大学時代の学友・大北君のことは、すでに書いた。ブログを検索すると昨年6月14日「現金」。ほかの日にも触れたかもしれない。
 体調と睨み合せ、気候不運に頭を痛めながらも、毎年ご丹精の賜物をお送りくださる。なにせ市場動向や原価率に縛られることなく、陽光ばかりか生産者の興味・観察を目一杯に浴びて、心行くまで発育した野菜たちである。私ごときにとっては、まずお眼にかゝる機会のない、とてつもない成果が届く。

 今からの季節には、塩揉みした胡瓜を三杯酢に泳がせる酢の物と、スライス玉葱を酢味噌仕立てにするぬた和えとを、交互一日おきに食膳に乗せる。独居老人食は無駄なく使い切り精神が原則だから、八百屋の店さき段階ですでに、大きさなり嵩なりを吟味している。これは一本使い、これなら二分の一使い、といった具合だ。社会主義計画経済ならぬ、しみったれ計画消費である。

 そこへ突如として、巨大玉葱の僥倖。余るや残るや、あとさき考えずに思う存分使える。おりしも煮物が切れ加減だから、いつもの雁もどきと人参をそろそろ、などと考えていたところだったが、予定変更。玉葱ふんだんの肉じゃがとする野心が湧いた。
 海藻粥なんぞ炊いてる場合じゃない。焦がし玉葱炒飯も作ろう。玉葱たっぷりケチャップライスも作ろう。いつでもできると高を括ってめったに作らぬ献立が、次つぎと蘇る。イメージ記憶のみあって、レシピ記憶はことごとく飛んでいるが、例によってヤマ勘テキトー主義で行こう。Aトレインだ。

 蕪はいかにするか。手持ち野菜と炊き合せてしまえば容易だが、それだとあっけなくペロリと平らげてしまう。長く愉しむには、やはり甘酢漬か。肴にもなるし。
 とりあえず薄く切って、たっぷり目の塩で水出し。
 さて漬け汁は、酒と酢を、2,5:1。砂糖の助けも借りるが、甘味は蜂蜜メインでやってみる。生姜にも仕事してもらいたいが、生のみじん切りでは、漬け時間中に効果が間に合わぬ危険性なきにしもあらず。おろし生姜チューブの登場。鷹の爪だの一味だのとオツなもんは持合せぬので、かまうことはない、七味をテキトーに振り込こむ。

 蕪がかいた汗が受けボールに滴り溜ったのを捨てること四回。だいぶしんなりしてきた。このまゝではあまりに塩辛かろうから、塩落しの水通し。たゞし丁寧は禁物。四分の三ていどの塩を落す気分で。
 

 フリーザーバッグに詰めて、汁が漏れぬように口を閉じる。あとは冷蔵庫の仕事。
 玉葱収納に最適な長ネットは、ほかの役目で現在使用中。急場しのぎとして、流しの排水口ネットを代用。玉葱の重量を支えるには弱過ぎるので、二グループに分けて包み、フックで冷蔵庫側面に掛けることとなる。

 ともあれ大北君、今日午前に無事届いた野菜たち、しかるべき所に収まったから。ひとまずご安心を。
 あらためて、ありがとう。奥様にも、どうかよろしく。