一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

情報

 そういえばまだ、アンテナが付いたまゝだな、拙宅も。テレビを遠ざけて、流行や世間の情報に疎くなるどころか、進んで遮断するかのように生きているのに。情報……。

 島村抱月の滞欧日記を調べたさいの、複雑なというか皮肉なというか、キテレツな感動を忘れられない。
 早稲田から派遣留学のかたちで、オックスフォード大学に一年、ベルリン大学に二年学んだ。三十歳を過ぎたころだ。
 新知識の持ち帰りを期待される洋行だったとみえ、文壇挙げてお祭騒ぎのごとき見送りだったと、たしか正宗白鳥が回想録に残している。

 抱月本人にも、使命感も自負もあったのだろう。刻苦勉励と申すべきか、生真面目に励んだ痕跡が、日記にはありありとしている。というか、それしかない。
 連日のように、図書館か大学施設へと赴いて、目ぼしき書物の書名・著者・刊行年や梗概を筆写している。オックスフォードからベルリンへ移ってからも、態度は変っていない。世界にはどんな本があるか、たゞそれだけを克明かつ厖大にメモして帰ったのである。
 気分転換に街歩きを愉しんだり、風俗探訪を試みた形跡はない。実際にさような機会や時間があったかなかったか、知るすべはないが、少なくとも日記には記されてない。今日から想えば背筋が寒くなるほどに、異様に勤勉な滞欧日記である。

 が、じつを申せば、異様でも異常でもない。そういう時代だった。それがことのほか重要な時代だったのだ。
 大昔、二十年間勉強してこいと申し渡されて唐の都長安へ渡った空海が、密教の神髄を直観して、こうしてはおられぬ、いっときも早くこれを日本へ伝えねばと、わずか二年で帰国の途につき、そのさいに可能な限り集めまくった厖大な量の経典・書物を持ち帰った。それが計り知れぬほどに、重要なことだった。
 なんでェ、資料を仕入れに行っただけかい。そんな台詞が口をつくものに、事態の重大さはとうてい伝わるまい。抱月の使命も、勉励の値打ちも、あだや疎かではない。

 むろん時代とともに、また歴史の局面に応じて、留学の意味も意義も変化する。
 こんな私にも、なん名かの優れた英文学者、米文学者、英語学者に、ご著書の担当編集者としてお仕えした時期があったが、すでに抱月留学の時代は遠く去っていた。
 留学中はみだりに本を読もうなどとせずに、なるべく土地の人と付合い、当地の風俗や美意識や言語習慣に触れ、躰一杯に空気を浴びて帰りなさいと、教授がたはお弟子がたを諭しておられた。書物による後付け確認などは、日本に戻ってからでも間に合う。なるほど、さように違いあるまい。

 わが散歩道に、また綺麗なマンションがひとつ、と思っていたら、一棟丸ごと有名大学が借り受けてしまったと見える。(これも表札だろうから、撮影もいかゞかと。立教大学さん、ごめんなさい。)
 疫病による入国制限もあって、稼働率が少ないのだろうか。ご近所の道筋や商店街で、留学生らしき姿を眼にすることは、さほど頻繁でもない。これからは増えるのだろうか。

 九月第二週の週末には、近隣各町の神輿が集結して、行列が寮の前を通りますから、どうぞ観てくださいね。二年目からは、担ぎ手に志願してくださっても、よろしいんですよ。夏休みだからって、旅行やご帰国では、もったいないですよ。
 日本人が、豆絞りをどういう具合にねじり鉢巻きにするもんか、観ていてくださいね。気っぷの好い女性たちは、ひっ詰めの髪にどんな角度で鉢巻きするか、観ていてくださいね。
 神社の獅子舞奉納も、観てくださいね。不思議な美しさを、ご覧になれますよ。
 源氏物語研究も三島由紀夫論も、それはそれで、どうぞなさってください。でも裸足足袋とは、あゝいうもんですよ。草履を突っかけるというのは、あゝして履くことですよ。それも文学研究ですからね。