一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

事故回避

 6月1日の花はサツキツツジ花言葉は「協力を得られる」だそうだ。

 午前四時半をまわり、昨夜から五時間あまり放送されてきたNHKラジオ深夜便」もそろそろ店仕舞いにかゝろうかというころ、今日の花花言葉が紹介される。これから一日を始めるリスナーがたへ、門出の花を手向けるような、さわやかで微笑ましい短いコーナーだ。
 そうか、六月朔日と聴いて入梅ばかりを連想するのは、私のひがみ根性か。まずはサツキを想うべきかと、いささか反省した。

 パソコン近くにいたので、試みに検索してみた。と、花暦類を当ると、サツキは必ずしも6月1日の花とは記されていない。5月19日、6月21日の誕生花とある。
 誕生花の由来については、なにも知らない。「ラジオ深夜便」が云う今日の花と同じ意味か別かも知らない。またグレゴリオ暦ユリウス暦の関係などについても知らない。知らないことは、放っておくしかない。

 花言葉については、たしかに「協力を得られる」が出てきた。ほかにも「節制」「節約」「貞淑」「幸福」などがあるという。そうかなるほどと、しばし考えこんだ。
 川のほとりなど、水流に近いところを好み、岩場がちで足場の悪い地にもしぶとく根付く。洪水などで水を被っても被害を最小限に留めるべく、身を低くして咲き、根を強く張るという。その性質からの連想で「節制」「節約」が出てきたらしい。

 どうりで……。サツキ栽培には水切れは禁物。園芸専門家は口を酸っぱくして云う。
 「サツキってやつは、とにかく水を欲しがりますんでねェ」
 ほとんどの園芸植物にとって、水切れが禁物なのは当りまえだが、かといって水のやり過ぎも、根腐れの原因となってよろしくない。なにごとも、過ぎたるは及ばざるがごとしである。
 ところがサツキに関してだけは、水のやり過ぎの心配はほゞ無用だ。じゃぶじゃぶやっていい。たゞし鉢で育てる場合には、悪い水が溜まって、あとから来るありがたい水を邪魔してはならないので、初めから水はけのよい鹿沼土で育てる。

 樹形を整えるべく、余分な枝を剪定したさいには、落した枝をさらに小さく伐って、平らな用土に挿しておくと、挿し木だろうが挿し芽だろうが、ことごとく根を発し、着いてしまう。園芸初心者にとってサツキは、もっとも増殖させやすい樹木だ。
 新鮮な水を際限なく好み、根付く力は驚異的に強い。水流のほとりで、岩場がちだろうが傾斜地だろうが、頓着なく育ってきた先祖が育んだ性質であったかと、納得がゆく。

 サツキとツツジはどう違う、という話題もしばしば耳にする。私の理解はかようだ。
 サツキのフルネームはサツキツツジ。ひろくドウダンツツジシャクナゲも、ツツジの仲間である。ところが、サツキツツジは圧倒的に種類が多く、新たな命名品種も後を絶たない。で、いつの間にか、サツキだけ独立して扱われるようになった。今もって、植物としてはツツジの一種にすぎない。
 私一個の理解だから、正しいかいなかなんて、保証の限りではない。

 さて花言葉だが、「節制」「節約」を旨として生き続けることができれば、「貞淑」でもありえよう。さような人柄を看ている人はどこかに必ずあるもので、「協力を得られる」こともきっとありえよう。したがって「幸福」に結びつきやすい。一連の筋は通っているように見える。

 が、待てよ、とも考える。衣食足りて礼節を知る、という言葉もある。ある程度の安定「幸福」があればこそ、「協力を得られる」知友との関係を保つことができ、あらぬ事故を回避することもでき、「貞淑」などと云っていられるのかもしれぬ。
 わが身を省みれば、節制でも節約でもなく、たんなる貧困・消極に過ぎぬのではあるまいか。正直申して、もっと裕福でありえたら、自分は「貞淑」などとはおよそ無縁の性格である。つまり一連の花言葉は、順序の矢印が逆向きなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、今朝もまず十五分間の草むしり。
 園芸品種を手掛けることは、もう生涯なさそうだ。お招きもしておらぬに勝手に生えてきた連中に向って、ブツクサ話しかけるのが、せいぜいのところである。
 飛び石が顔を出した部分が、ようやく全線開通。これでガス検針にも水道タンク調整にも、こゝを歩いていたゞければ安全ですよと、お示しできるまでにはなった。

 裏手へ回るのが最長距離の本線とすれば、分れて玄関へ辿りつく短い引込み線が支線。こちらもとりあえず、ご来訪のかたが飛び石につまづく事故を回避できるところまでは来た。