一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

怪しげ

 

「なんだこのジジイ、怪しげな奴…」「知らんぷりしとけよ!」

 規制もゆるくなって、友達と愉しく登校するのである。ところが道端に、今時分こゝにいてはならぬ、怪しげなイキモノがいる。

 雨はあがった。空青く、陽光さんさん。空気さわやかな午前八時。余所さまの玄関先の石段に、デジカメを手にしたみすぼらしいジジイが腰掛けてなど、本来いるはずがないのだ。一日の始まりに、縁起でもない。
 想定をはるかに超えた晴天に、ジジイは寝そびれたのである。このまま寝付けずに、時間を中途半端に無駄にするよりは、溜った家事をわずかでも消化しようと、思いたった。で、溜りに溜った洗濯物の四十五リットルふた袋を両肩に背負って、コインランドリーへと、やって来た。

 ジジイは知っていた。この天候でこの時間に、洗濯にやって来る奴なんかめったにないと。夜明けて間もなくであれば、夜勤明けの帰宅者が、着替えをかねてやって来る。汗になった仕事着や下着を洗濯機に放り込み、その間にコインシャワーを使う。
 また今から一時間もすれば、勤勉な主婦たちがやって来る。夫や子どもを送り出して、まず洗濯機を回し、その間に家へとって返し、掃除か片づけを済まそうというのだろう。彼女らの特色は、洗濯機のみ使い、乾燥機はほとんど使わない。この好天だもの、ベランダ干しか部屋干しでも間に合う。
 わずかな隙間時間、ちょうど小学生たちが登校するこの時間こそ、コインランドリーががら空きとなる時間帯だ。近年ようやく、気まぐれな思いつき生活を獲得できたが、十五年ほど前までは、看病・介護の専従者として、昼夜の別なく強いられてコインランドリーに出入りしていた。この洗濯場が、いかなる推移を見せながら二十四時間営業しているか、おゝむね承知している。

洗濯機三台使い、壮観!

 案の定、稼働している機械は一台もなかった。独り舞台だ。量と素材から洗濯物を分類して、本日は三台使い。タオルケットやバスタオルなどの大物を含むので、しかたない。壮観ではあるが、溜めも溜めたり怠惰の極み。
 回す間に、ビッグエーで買物。豚肉、大豆、竹輪。煮物炊き物の準備だ。常備菜が一品くらい底を突いても我慢して、二品三品切れたら一気にこしらえる。一昨日昨日と、麺類や玉子料理で繋いできた。そろそろ潮時だ。
 それにこれまた常備の小物たち。納豆パック、シソふりかけ、濃縮カルピス、インスタント珈琲。いったん帰宅して、冷蔵庫に収めるべきは収め、ランドリーへと戻る。
 じゃが芋、人参、カボチャはビッグエーではなく、川口青果店で買う。まだ開店前だ。

乾燥機二台使い、壮観!

 機種によって洗濯完了時間はまちまちだ。早く洗いあがった槽から、乾燥に時間を要する素材を選り分けて先に乾燥機一台目をスタート。次つぎ洗いあがってくるものを素材基準に再仕分けしながら、本日は乾燥機二台に振分ける。これも豪勢だ。むろん恥入るばかり。
 往来へ出て一服してから、ビッグエーで買い入れた五十四円の缶珈琲。読書。こんなときに一人で読むには、偶然ながら『濹東綺譚』はまことに似つかわしい。

 主人公の初老男に触発されて、ふと想う。長年にわたって、おりおり蘇る女とは、いかなる女性だろうか。深く長く縁があった女性とは、かならずしも限らない。かといって未遂に終ったとか無惨に振られた女性とも限らない。後悔とも、未練とも、好奇心ともちがうようだ。
 「彼女は、その後どう生きたろうか。幸せになっていてほしいもんだが?」
 三人の女性の顔、姿、声、仕草、匂いが蘇る。繰返すが、付合いの深かった順ではない。基準も脈絡もない。お三かたの共通点も視当らない。不思議だ。

棲み分け道。

 自分なんぞが歩いてはならぬ道というものが、あったのだろうか。歩いてはならぬ時間帯というものが、あったのだろうか。無頓着だった。
 少なくともこの時間帯は、児童たちの道だ。
 心配無用だぜ君たち。こんな怪しげなジジイになっちまうまでには、まだ六十年もある。これからいろいろあるから、大丈夫!