一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

文学入門

1と7が含まれてさえいなければ、数字はこんなに丸っこい。
ブックオフ江古田店」さまウィンドウ。

 学生サークル「古本屋研究会」の散策。江古田駅周辺の四軒を訪問ののち、池袋に移動。ホームグラウンドの雑司ヶ谷古書往来座」さまへご挨拶。

 午前中は気持好い晴天だったのが、歩き始めの午後一時、急変のにわか雨。コンビニでビニール傘、参百五拾円の出費也。小半時のちには用済みとなり、以下はステッキに。
 参加者八名。夕刻より駆けつけてくださった OB.OG 三名の都合十一名が参加。
 丸二年間というもの、屋外活動はできなかった。それ以前から所属していた上級生会員は少なく、大学院生や若手 OB の知恵をお借りしている状態だ。現会長(主将)の弁によると、今回はオリエンテーションを兼ねての実施とのこと。新入生や二年生の初参加組、いわば試し入会者の顔合せの催しとのこと。

 まずは伝統的スタイルの代表「根元書房」さま。店内は棚にぎっしり、床からうず高く積上げ、所狭しと本の山。躰を斜めにして、店内をすり抜ける。古書店歩きの定番装束であるリュックも、いったんはどこかに置かせていたゞく。
 まずは場所と要領を覚えて、以後は一人ででも物怖じせずに入店する度胸を身につけるのが第一歩。この本の深山に、自分にとっての掘出し物があるのは確実なのだが、いく度も通わなければ、掘り当てられるはずもない。

「百年の二度寝」さまお店先。

 近年はカフェを兼ねた古書店を視かける。西洋アンティークやアクセサリー小物や香り商品などの、お洒落小間物店と併設される店もある。客層の一致を見込んでの総合化だ。若者層にも女性客にも、あれこれ楽しめる店舗形態というわけだ。古書店特有の、あの古風な匂いがたまらないとおっしゃる客層とは、異なるお客さまが増えた時代となって久しい。

「スノウドロップ」さまお店先。

 ほとんどが初参加だとはいっても、こんなサークルの呼びかけに興味を惹かれて参じた顔ぶれだ。書店に到着してしまえば、あとは興味のまゝに、再集合時間などはすぐに忘れられてしまう。それでよろしい。
 訪問先のご店主さま・店長さまにご挨拶申しあげると、時ならぬ学生集団の来店にお眼を細くされ、本の視かたすら未熟な若者たちにも、ご親切に対応してくださった。こんな集団が迷い込んでくる状況に、ようやくなったとの感慨も、それぞれにおありなのだろう。

 「古本屋研究会」の趣旨は、第一に自分の脚でアナログ情報を漁る力を身につけることにある。情報渉猟の目的も情報の在処も絞りこまれてある場合には、デジタル検索でけっこう。が、若き日の知性というものは、ふいの出逢いによって、思いもかけぬ方向へと伸長していく可能性がある。目星の本は見つからなかったが、すぐその隣でこんな本を見つけてしまった、という場合だってある。小さい経験の積みかさねが、線の知識を網目の知性へと織りあげてゆく。

 だがそうした表向きの趣旨だけが「古研」ではない。自分の住む町ではない街を歩くということに意味がある。どう発祥してどう発展してきたどんな町か、どういう人たちが住み、どういう人が歩いているのか。
 教師臭い云いかたは趣味ではないが、文芸創作の基本のひとつでもある。

 次なるポイントへの道すがら、道案内は上級生に任せきって、初参加組は新たな交友に余念がない。己を語り、相手を確かめ、共通の話題を模索する。無理もない。この二年間、交友に飢えてきたのだ。学友と胸襟を開いて互いを語り合う大学生活に、初めて突入したのだ。おゝいに語り合い、探り合ったらいい。
 しかし次回は、自分独りでこの道を歩くのだ。案内された初めての道を、独りで歩きなおしてこそ、自分の道となる。君の道になってくれねば困る。そしてやがては、下級生を引連れてこの道を案内してくれねば困る。曲り角の目印は記憶したか。駅の方向は把握できているか。人びとを視たか。街並みを視たか。
 


 古書店さんからほんの数十メートルの美容院。コテ絵とでもいうのだろうか、左官さんの手わざである。漆喰の下地である煉瓦構造を一部分見せて、盛上った樹木図部分には、フレスコ画技法でも用いたものだろうか、古色を帯びた色彩感である。
 就学前を過した横浜桜木町界隈には、こんな感覚があったように記憶するが、その後の日本はこの感覚から遠ざかった。今観ると、著しく懐かしい。どんなかたがご商売なさっておいでなのだろうか。

 古書店さんのお隣の看板。日曜につきシャッターを降していらっしゃるから、なに屋さんとも存じあげない。店の表札と云うも旗印云うも過言ではない表看板がこれだ。少なくとも私は、生れて初めて眼にする図形感覚である。今日一日のそゞろ歩きで、一番衝撃を受けたデザインだった。

 若者たちが入店しているあいだ、私は往来に残ってぼんやりしたり、ご近所をふらふらしている。ときには本も視るけれども。
 今から贖った本を読み了える時間は、私にはもうない。生きているあいだに是非とも読み了えておきたいと、かねがね思ってきた本が、拙宅内には、ざっと百年ぶん以上はあるだろう。すべては手遅れである。

 その代りというわけでもないけれども、現に眼前にある色や形や、人びとの動きを眺めていたい。じつに心惹かれる、不思議なことが数限りなくある。
 「ブックオフ江古田店」さまの外からウィンドウを覗いて、デジカメを構えている老人の気持ごときは、学生諸君からはおそらくご理解いたゞけまい。