一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

指定



 久しぶりに江古田を歩く機会に恵まれたので、約束の刻限よりもだいぶ早く到着するように出掛け、浅間神社にお詣りした。

 駅前商店街やビルのテナント店に関しては、猖獗を極めたとすら云いたいほどだった絶頂期こそさすがに過ぎたとはいえ、あい変らず顔ぶれ変更が眼につく。大手開発業者間の戦も、おゝむね形勢が判明したというところか。
 しかし神さまは動かない。記憶に残っていたまゝの境内だった。

 そういえば数日前、台所をしながら「午後カフェ」を流しっぱなしにしていたら、武内陶子さんがふとおっしゃった。
 「富士見町、富士見坂……富士山が見える場所が、東京にはいくつもあったんでしょうねぇ、きっと」
 愛媛県への郷土愛を、日ごろから美しく語られる武内さんらしいおっしゃりようで好感を抱きはしたし、そのお若さで地方ご出身であれば当然のご感想だけれども。

 畏れながら武内さん。「いくつもあった」どころではないのです。西斜面のちょいとした小高いところでさえあれば、東京中のいたるところから、富士山は見えたのです。珍しくもありませんでした。
 近隣に遮蔽物が多いにもかゝわらず、そこからだけは見えるだとか、周辺景観のと兼合いでそこからの富士はちょいと珍しいだとか、とくに自慢とされた場所が地名化されたに過ぎませんでしょう。

 私の街には、私鉄を跨ぐ山手通りの陸橋がある。陸橋上は小学生等が画版を展げての富士山写生場だった。俗称富士見橋。近くに富士見台小学校もある。とくに小高い地形に建つわけではない。が、木造二階建て校舎の二階教室の窓からは、天気さえ好ければ、普通に富士山が眺められた。

 


 とはいえ、富士山そのものは、わが町にはない。そこへゆくと隣町と申しても過言ではない、江古田駅北口前には、ある。正式名称は「富士塚」だが、霊峰富士に登って頂上の浅間大社にお詣りすると同様のご利益があるとされている。
 たゞし年がら年中お詣りできるわけではない。便宜の好過ぎる富士登山が、思いたってすぐさま可能なはずはなかろう。厳密に、日取りが限られてある。


 これより立入禁止の木柵があるきりだから、登山口と二合目くらいまでの登山道とを覗き眺めるくらいであれば、いつでも可能だ。
 それだけでも、なんだか好い気分になれる。江古田散歩のお奨めポイントのひとつだ。


 江戸時代の、素朴かつユーモラスな庶民信仰の名残だろうが、昭和のころからか、すぅぐまた観光名所化しようとする動きとなったのだろう。いじましき小役人根性と申すべきか、好きになれない。少なくとも、地元あるいは近隣の庶民信仰とは、およそ無縁なばかりか、むしろ逆行する心の動きであるような気がする、
 国指定かつ練馬区指定の、民俗文化財ということになっている。大切にするのはおゝいにけっこうだ。だが、国が指定したから貴重なわけではない。

 地元名所に共通する傾向で、表示する石碑もしくは石板がむやみに立派だ。せっかくの富士塚霊験をむしろ台無しにする危険なしとしない。
 大和・奈良・平安、せめて鎌倉であれば、よくぞ残ってくれた、そこにあり続けただけでもありがたいと感じるのが自然だろう。が、東京の、江戸期後半の民俗文化財なるものは、いわばすべからく新名所だ。地元住民の気持と繋がってあればこそ尊いのであって、お上が祀り上げたからどうという問題ではない。
 練馬浅間神社が富士山頂の浅間大社末社だからこそ、練馬区住民の心とともに生き続けているのだ。練馬区の指定文化財であることはよろしいとして、国が出てきてなにを口出ししようというのか。
 「区指定」と聴けば微笑ましい。「国指定」と聴けば胡散臭い。

 それに引替え境内の大ケヤキふた株。こちらは文句なく偉い。胡散臭い「国指定」の石碑材が、かくべつミラー機能の高い磨き御影だったので、ありがたい大ケヤキを映し込ませておいた。こちらは区の名木。よろしい。
 わが町の長崎神社の大イチョウより、この大ケヤキのほうが、少々巨きいようだ。