一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

世に出る(二十世紀の台詞たち①)【6夜連続】

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 浮世ばなれの昔噺にて、お耳を汚します。昆林斎胡内と申します。

 わが国近代の文士がたは、諸外国の文学をよぉく勉強なさいまして、上手に摂取いたしました。しかし何事におきましても、追いつき追いこせと励みます者の哀しさ。とかく急ぎ足にて事を運ばねばならず、時計を早回ししなければなりませんでした。ときには前後するふたつの時代を、同時に勉強しなければならぬ場合すらございました。

 ところで芸術思想の分野では、十九世紀的な枠組み・二十世紀的な枠組み、などと申します。「枠組み」とは、根本の考えかた、暗黙の約束事、という意味になりましょうか。これとは別に、近代的枠組み、現代的枠組みという申しあげかたもございます。厄介千万にも、これらは同じ意味の云い換えではございません。
 「教授、本日のお教えは、近代芸術的観点という問題でございますよね」
 「いゝや胡内さん、むしろ二十世紀芸術的観点の問題というべきでしょう」
 「あ、さような意味合いでしたか。解りました」
 なにが「解りました」ですか。けしからん。ですが皆さん、当人同士はこれで、あんがい意図を伝達しあっているのです。

 わが国近代文学の始まりはいつか、諸説ございましょうが、ひとまず仮に坪内逍遥小説神髄』刊行あたりを見当といたしますと、これが明治十八年(1885)、二十世紀までわずか十五年。長い歴史でたった十五年なんぞ誤差のうち、日本近代文学の始まりは世界二十世紀文学の始まりと考えて……というわけには、まいりませんのですね、これが。
 では世界の、ことに日本の文学青年たちが手本と仰ぎました西ヨーロッパの二十世紀文学とは、という問題なのでございますが。

 こゝだこゝだ、英文科っと。コンコンコン。
 「ごめんくださいまし。教授、二十世紀文学ってなんでしょうか。お教えを」
 「よろしいですとも、胡内さん。それにはまず、ジェイムズ・ジョイスというものを読んでいたゞくことになりますので、どうぞかまいませんから、私の教室へお越しください」
 「ありがとうございます。ちなみに教授、お教室へはどれくらいお邪魔いたせば」
 「なにしおうジョイスとなりますとねぇ、まずざっと四年」
 「よ、よ、四年、ひと月ではなんとかなりませんか」
 「ハゝゝゝ、ご冗談を。胡内さん、どうしてまた、そんなにお急ぎで」
 「じつは、ブログにアップする都合がございますんですが。駄目だこりゃ」
 さよなら、バタンッ、あゝびっくりした。しょうがねえなぁどうにも。こっちはっと、なになに仏文科だって。コンコンコン。
 「ごめんくださいまし。二十世紀文学って、なんでしょうか。ぜひお教えを」
 「了解です。それにはまず、マルセル・プルーストというものを読んでいたゞくことになります」
 「いやな予感がしてきましたが」
 「ほかでもないプルーストとなりますと、まず四年。なにひと月ですって。胡内さんそれはいかにも、ハゝゝゝ」
 さよなら、バタンッ。呆れたね、どうにもこうにも。

  偉すぎるご専門家ってもんは、急場には間に合いませんですね。たゞこの件が、どうやら途方もなく巨きな問題らしいということは、想像がつきました。
 そうなりますと弘法大師だったか二宮金次郎だったか、昔の偉いおかたがおっしゃっておいででしたよ。手ぎわは逆にってね。巨きな案件は微細に砕いて論じよ。かすかな案件は視野を拡げて大きく論じよとね。さしづめこの問題は、微細に砕いたひとカケラを念入りに観察し、それを典型また象徴とご理解いたゞきまして、巨きな問題全体をご類推願うほかはございませんようで。

 そこで胡内、一計を案じまして、とあるお芝居の台詞に着目いたします。これでしたら四年もお教室へ通わずとも、なんとか視通せそうに思われます。十九世紀の狂言作者たちであれば書くはずもなかった台詞、二十世紀の劇作家たちにして初めて書かれた台詞につきまして、ほんのふたつ三つ、皆さまのお耳にお入れしたいことがございます。

 最初に登場願いますのは、エドワード・オールビー(1928~2016)と申しますアメリカ合衆国演劇界の大立者が世に頭角を現したいきさつで、その出世作『動物園物語』にまつわるお噂でございます。
 後年のいかなる大家も初めは無名の新人。いまだ一作も舞台化されておりませぬころのオールビー。これでどうだっ、勝負作をほうぼうの演出家やプロデューサーに売込んで歩きましたが、ほとんど門前払い。まれに読んでくれた人も「こんなモンがお客に受けるはずないじゃないか」と、歯牙にもかけてもらえません。

 たゞ友達の作曲家だけが、たいそう気に入ってくれまして、複写コピーを何人かの知人に送ってくれました。受取ったひとりがイタリー在住の、これも作曲家。彼も気に入ってくれましたものの、なにぶん自分の専門外だからと、スイスの俳優に回送してくれました。この俳優、ご丁寧にふたりの登場人物の台詞をひとりで吹込み(デモテープですな)、フランクフルトにある大手出版社で戯曲出版を担当している女史に聴かせたというものです。
 彼女の口利きで作品はベルリンへと持込まれ、この作品はなんと、ニューヨークからフィレンツェチューリッヒ、フランクフルトと旅したあげくベルリンの小劇場にて、ドイツ語訳にて幕を揚げました。
 この作品こそエドワード・オールビー出世作『動物園物語』。時を申さば、一九五九年九月のことでございました。

 無名新人の作品とは、おゝむねさような扱いを受けるものなのでございましょう。初日の幕が揚りますと、あんのじょうお客の反応は散ざん。木戸銭返せとばかりにブーイングの嵐。誌紙の劇評いずれも無視でございましたそうな。
 「ひでえもんを観せられちまったぜ、まったく」
 もよりのバス停まで、コートの襟を立て背中を丸めて早足に歩く観客たちは、不満タラタラでございます。
 なん日目かのある夜のこと、ひとりの客がふと立停まりました。
 「待てよ……」
 あくる夜も、ブーイング渦巻きましたが、その帰り道、
 「待てよ……」「ちょい待ち、これって……」
 さらにあくる夜は、
 「おいおい、こいつぁ……」「なんだとぉ……」「待てったら、今考えるから……」
 日が経ちますうちに、待てよ、待てよ、待てよ、待てよ、待てよ、待てよ……。
 新しい才能には眼のない、遠路も厭わない演出家やプロデューサーが、ロンドンからもパリからも出掛けてくる。火が点きました。

 逆輸入の凱旋公演、アメリカでの初演は、あくる一九六〇年一月でございました。
 その『動物園物語』、こんなお芝居でございます。
 イケネッ、お時間でございます。続きは明晩ということにて。
【二十世紀の台詞たち①】