一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ゴドー(二十世紀の台詞たち④)【6夜連続】


 性懲りもなくお古い噺を申しあげます。昆林斎胡内にございます。

 いかなる才能人も、先行者なしに世に現れた試しはございません。ベルリンの小劇場にて『動物園物語』観劇の帰り途、「待てよぉ」と足を停めるほどの観客であれば、おそらくは先行するあるお芝居を脳裡に蘇らせていたはずでございます。

 サミュエル・ベケット(1906~1989)の『ゴドーを待ちながら』の初演は一九五三年。『動物園物語』に先立つこと六~七年といったところでございましょうか。
 アンチ・テアトル(反演劇、また不条理演劇)の典型として、今日では象徴的意味合いをもって回想される、あまりに有名なお芝居でございますから、ご案内のお客さまもさぞや多かろうと存じます。
 その「形式破壊の形式」がものの見事に当りましたために、世界中で大流行。各国語にて上演されるとともに、幾多のパロディーが試みられました。本朝におきましても、機知に富んだ作家たちによりまして、『ゴドーは待たれながら』『ゴドーを待ちながらを待ちながら』『後藤を待ちながら』その他、まだまだ書かれたことでございましょう。検索してくだされば、資料は山ほど出てまいりましょう。

 日本語で読める文献といたしましても、戯曲集も小説集も、海外研究者によるベケット論の翻訳も、日本人研究者グループによるベケット事典までございます。
 舞台化も終始盛んでございまして、主役の二人を演じました役者衆のお名をお借りして申しますれば、宇野重吉米倉斉加年版、観世寿夫・野村万之丞版、柄本明石橋蓮司版、白石加代子毬谷友子版、串田和美緒形拳版などは、記憶から去りませんですなぁ。小劇団や学生劇団などによります小規模公演も数多く、もちろん手前が観逃した舞台も多くございます。
 しかもこれらは、手前の足腰がまだ立ちまして、この身を劇場へ運びました時代に限っての噺で、それ以後今日までとなれば、いったいどれほど上演されたものか、見当もつきかねます。

 ―― 裸舞台に枯木が一本。ここは往来なんだか、広場なんだか……。ウラジミールとエストラゴン、二人のホームレスが登場。
 「あーぁ、ひどい夢を視たもんだ。だれダッ、なんだお前か」「お前こそ、またか」
 二人はこゝで逢ったことがあるようですが、記憶がはっきりしません。ともすると昨日も、その前も……。思い出そうとしてみても、どうも曖昧です。
 彼らはゴドーがやって来るのを待っております。待合せはたしかにこゝなのか? そんな気がする。だって気づいたらこゝにいたのだから。いゝさ、ゴドーが来れば、正確なところを教えてくれるはずだ。
 なぜ自分たちはゴドーを待っているんだろうか? 判らない。それもゴドーが教えてくれるはずだ。だいたいゴドーってだれなんだ? 男か女か? 年寄りか若いのか? 知らない。逢ってみれば判るだろう。
 たゞ待っているだけの俺たちって、いったい何なのだ? こんな生きかたに意味があるのか? 判らない。ゴドーが来て、明かにしてくれるはずだ。

 ―― 「たゞ待っているのも、退屈だなぁ」「あゝ、退屈だ」
 「なにかしようか」「しよう」
 「腰を降してみるか」「おゝ、腰を降してみよう」
 「なにが見える?」「おんなじだ」
 「立上るか」「待て。立ってしまえば、つぎに腰を降すことが繰返しになる」
 「それもそうだ。じゃ、横たわろうか」「そうしよう」
 「なにが見える?」「おんなじだ」
 「しかたない、立上るか」「あゝ、立上ってみるか」
 えんえんたる暇つぶしを考えては、実行してゆきます。大声を挙げてみます。唄ってみます。踊ってみます。尻取り遊びいたします。小突き合って喧嘩ごっこいたします。だいぶ時間が経過したような気もします。暇つぶしの種も尽きてきました。
 「もうほかに、することはないか」「どこかまで歩いて行ってみるか」
 「それは駄目だ」「どうして?」
 「ゴドーを待つんだ」「そうだったなぁ」
 自分は、かつていつの日かに、たしかに産れたのでしょう。こうして生きているのですから。なにかをしてきたのでしょう。その結果、今こゝにいるのですから。
 けれどなにをしてきたのだったか、記憶もはっきりしない。身に残っているものもない。どんな足跡が、どんな成果が、どんな意味が……。さっぱり判らない。コドーがそれを証明してくれるだろう。すべてをはっきりさせてくれることだろう。

 ―― 「だれか来るようだ」「ゴドーか、ついに来たか」
 ポッツォ(ご主人さま)とラッキー(召使い)登場。ラッキーは両手に大きな荷物を提げ、綱に繋がれ、綱の先端はポッツォの手に握られております。ポッツォは長い皮鞭をピシリッ、ピシリッと鳴らしながら、「停まれ」「荷物」「椅子」「考えろ」いちいちラッキーに命じ、ラッキーは命令どおりにしか行動いたしません。
 「この人たちがゴドーなのか?」「それにしては様子が変だ」
 ウラジミールとエストラゴンはひとしきり、ポッツォとラッキーの奇妙な行動を、呆気にとられながら観察いたします。やがて休憩が済んだものか、ピシリッ、「荷物を持て」「歩け」となって、二人は去ってゆきました。
 あれはなんだったのだろう、と思いながらも二人は、ふたたび際限もない暇つぶしへと戻らねばなりません。たゞし「停まれ」「椅子」「荷物」「歩け」、しばらくはポッツォとラッキーごっこに興じることができました。
 陽も傾いてきて、二人は疲れ果てました。
 「疲れたし飽き飽きしたな」「いっそのこと、場所を替えようか」
 「それは駄目だ」「どうして?」
 「ゴドーを待つんだ」「そうだったなぁ」
 「おっ、だれか来る」「来たか、今度こそゴドーか」
 少年が登場。ゴドーの使者だそうです。
 「ゴドーさんは、今晩は来ません。明日はきっと……」
 第一幕が降ります。

 ―― 第二幕も同じ場所。たゞし唯一の舞台装置である枯木に、葉が一枚ついております。時間の経過を暗示していると、演劇学者らは申しておりますが、作者ベケットはひと言も説明などいたしておりません。
 「またお前か」「お前こそ」えんえんたる暇つぶし。
 「次はなにを」「どこかへ行こうか」「それは駄目だ」「どうして?」
 「ゴドーを待つんだ」「そうだったなぁ」
 ポッツォとラッキーが通りかゝります。支配と隷従の関係が、第一幕よりもさらに緊迫して悲惨な模様です。やがて二人は去ってゆき、ウラジミールとエストラゴンは取残されます。陽が暮れてきて、少年が来ます。
 「ゴドーさんは、今晩は来ません」
 ―― 幕

 風変りな小説を書くアイルランド人小説家として、ごくごく少数のマニアか専門家にしか知られておりませんでしたサミュエル・ベケットの名が、この戯曲一篇で世界に知れ渡りました。現在では不条理演劇の代表的作品として、また綺羅星のごとき十九世紀作家たちのだれ一人として書いたことがない、二十世紀作家によって史上初めて書かれた台詞の実例として、この作品に指を折らぬ文学史家は、まずいらっしゃいますまい。
 「たゞ待っている」ことがドラマを形成することなど、かつてございませんでした。聴くだに耳の汚れでしかない、忌わしい殺人者を追詰めたからこそ、オイディプス王の悲劇は起きたのですし、復讐相手の動かぬ証拠を摑みたいからこそ、ハムレットの煩悶はあったのでございます。
 主人公たちは、待っていたのではございません。目指し、願い、祈り、狙っていたからこそ、心の裡に葛藤(自己分裂や矛盾)が生じたのでございます。その想いが募り、膨張して心に充満し、ついに行動として爆発する。そして身を滅ぼす。壮大かつ崇高な崩壊が、観客にカタルシス(浄化、スッキリ満足感)をもたらす。まさに大昔に書かれました、世界最初の演劇論といってよい、アリストテレス詩学』が定式化いたしましたとおりに、演劇史の基本は推移いたしてきたわけでございますね。

 ところがでございます。ウラジミールとエストラゴンは、世界の観客が初めて眼にする、前例なき主人公でございました。
 ベケット作品は、まるで私どもに、かよう突きつけているようでございます。自分で自分の価値や存在意義を見つけることなど、できようはずもない。現代にあって人間とは、人生を自分で決めたり選んだりなど、できようはずもないのだ。人間が意味ある存在でありえた時代は、すでに去った。英雄にも悲劇の主人公にもなりうる可能性などない。ろくでもない暇つぶしをなんとか考え出して、望んだわけでもない人生というこの時間を埋めてゆくだけの存在ではないか。人生とはさように空疎な、ナンセンス・コント以外のものでありえようか。
 当時ベケットは、アメリカ喜劇に心酔しておりましたそうで、ウラジミールをチャップリンに、エストラゴンをキートンに演じてもらいたいものと、夢想しておりましたそうでございます。

 あたくしどもが用いております日常言語が、とうに空洞化しているではないかとの、オールビーによります指摘には、なるほどと思わせられます。けれどもそれに先立ちましてベケットは、人生そのものが固有性を喪失しているのが現代ではないかと、いゝえ現代のみならず、人間存在自体が本来さようなものではあるまいか、「個性」「人間性」など錯覚に過ぎなかったのではあるまいかと主張し、作品として造形・提示して見せたわけでございます。

 妙なところへと、噺は入ってまいりました。しかし今夜最初に申しあげましたとおり、いかなる才能人も、先行者なしに世に現れた試しはございません。少々ご紹介申しあげたき先輩作家がおります。
 だいぶお時間を頂戴いたしました。そろそろお疲れでございましょう。以下は明晩の噺とさせていたゞきまして、今宵はこれにて失礼いたします。ごめんくださいまし。
【二十世紀の台詞たち④】