一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いたゞきもの


 
 若き友人の川仲さんから、サクランボを頂戴した。ご郷里から山盛りに届いたので、ほんのお裾分けとの口上だったが、独居老人には過ぎたる量だ。毎夕食後に少しづづいたゞいてきて、これが最後だ。

 彼女は写真学科の大学院生で、写真家志望というよりは、写真史だの写真批評だの技術史だのといった理論方面を専攻しているそうだが、むろん撮影も上手だ。

 写真学科では、下級生のときに、三脚を立てて箱カメラに黒布を被せて頭をもぐらせる、まるで貫一お宮を熱海の海岸で撮影するかのような、いにしえスタイルの撮影技術を全員が習得する。デジタル機器が当りまえの時代となっても、写真光学の理論的基礎を学ぶには、あれが不可欠なんだそうだ。モノクロフィルムからの現像・定着もすべて基本どおりに学ぶ。
 とはいっても、寒い季節には定着液の温度が足りずに、ヴァットに張った液に手を浸けて過したなんぞという原始的体験はしなかったろうが。なにせ私が暗室を経験したのは、半世紀以上も前である。
 ともあれさような基礎があって、上級生になると、カラーやデジタルの研究に進むのだという。

 ところで頂戴したそのとき、頭も眼も意識もすべてサクランボのほうに向いてしまっていて、言葉のやりとりが上の空だったと見える。産地が山形だったか福島だったか、当然伺ったはずなのに、今記憶が蘇らない。その地が彼女のご出身地だったか、それともご両親のご郷里で、ご自身は東京の人なのだったか、それも思い出せない。ひどいもんだ。いたく申しわけなくもある。

 記憶力の老化現象にはいくつもの症状があって、一に古い記憶の忘却、二に忘れちゃいないが咄嗟に言葉が出てこない、三に新しく知ったことを憶えられない、などがよく指摘される。
 そのほかに、意識領域が狭くなるという症状がある。眼にも耳にも入ってはいるのだが、しかもその場では習慣に則ってほゝ的確に反応してはいるのだが、意識の裏打ちが届いていないので、後刻思い出せない。
 川仲さんに対しても、頂戴したその場では、お礼も申しあげ、なにがしかの対話をしていたにちがいない。それは年来の習慣や礼儀の力、いわば教養的対処だ。たゞしそこに意識が乗っていないから、その場では無難に事が済んでも、後刻に細部が蘇ってこない。
 ことにその時が、仕事の途中だったり、何用かの仕掛りだったりすると、余計いけない。気もそゞろというやつである。川仲さんがわざわざ、拙宅玄関口まで足を運んでくださったおりも、当方ちょうどパソコンに向っているときだった。いやはや、申しわけない。

 私には欠礼あっても、サクランボに罪はない。好物なのに、果物店で視かけることがあっても、まず自分から買うことはあるまい。
 年に一度の、その大ゼイタクが、最終回を迎えたのである。

 ところで、学友大北君より拝領のジャガイモの約半数は、不滅の相棒たるニンジンとゲストのガンモドキを調達してきて、めでたく煮物ヴァットに収まった。およそ四日分の、筆頭副食となる。
 新鮮さの「読み」に抜かりがあって、下茹でが一分か二分長かった。ある程度皮を剥かずに残し、切り角は面取りしたのだけれども、目論見以上に余熱がとおって、煮崩れ寸前だった。
  次回残り半分を使うときには、もっと加減できよう。また同時にいたゞいた鷹の爪にも今回参加してもらったが、それも出来栄えを確かめたうえで、次回はもっと大胆に使ってみようか。
 ありがたき頂戴ものを食いつないで、生きている。