一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

残念

NHK アーカイブ映像から、無断で切取らせていたゞきました。

 この画像を観ただけでピンとくるかたは、1970年当時、相当に入れこんだかただろう。ヒント。国立近代美術館所蔵のモダンアートではない。

 NHK 総合テレビで夕方六時五分から放送された人形劇『ネコジャラ市の11人』の、オープニング主題歌のタイトルバック。アップテンポの主題歌に乗せて目まぐるしく変容躍動するサイケデリック調アニメーション動画の、先頭(導入)部分である。後年の申しかたをすれば、ブッちぎりに新しい、ぶっ飛んだタイトルバックだった。そこどけっ、蹴散らすぞっ、と云わんばかりの元気だった。
 歌詞がまたすごかった。

 ♬ ネコジャラ いきいち にち一本(ネコジャラ行き、一日一本)
  6時5分はつ ズタボー ロ列車ぁ~~はっ(6時5分発、ズタボロ列車)
  ドゥンツドゥンツ ドゥンツドゥンツ
  ドゥンツドゥンツ ドゥンツドゥンツ(打楽器的スキャット
  (こゝまで超アップテンポ。十六分音符で。以下八分音符に緩めて)
  君の胸に~ 君の胸に~
  あふれるユ ウーキを~~はっ(あふれる勇気を)
  ドゥンツドゥンツ ドゥンツドゥンツ
  ドゥンツドゥンツ ドゥンツドゥンツ(作詞:井上ひさし山崎忠昭山元護久

 その時代にあっては、いやはやたいへんな楽曲だった。
 かの有名な長寿人形劇『ひょっこりひょうたん島』がついに終了して、その枠を継承した新人形劇。むろん子ども視聴者想定枠だ。
 物語設定は、ネズミ族が力をつけて権力を掌握。猫たちを残酷に虐待する世の中。猫族代表者からの必死の懇願を請けて、勇者たちが立上り、戦備を整えて猫族救済に出立するといったこしらえ。なにやら恐怖 SF のようでもあり、ブラック風刺のようでもある。
 従来の固定観念にてらせば、どう考えたって対象を子ども視聴者に限定した無邪気人形劇とは申しがたい。果せるかな、漫画や小説好きの高校生・大学生からも注目を集めた。

同上。

 時は一九七〇年四月。七〇年安保である。むろんベトナム戦争さなか。沖縄はまだ返還されていなかった。日中国交も締結されていなかった。大学は学生によるバリケードストライキと、大学の要請で介入してきた警察によるロックアウトとの、応酬だった。
 新しい児童文学作家として、さねとうあきら灰谷健次郎が頭角を現すのは、ほんの数年後だ。子どもには毒にも薬にもならぬ程度のものを与えておけというような、舐め切った児童文化論が厳しく吊し上げられ、大人作家の精一杯の想像力を子ども読者にぶつけるべきだとする論調が生れていた。そんな中での「ネコジャラ市」だった。

 子ども向け番組の主題歌としては、それどころか、あらゆるテレビ番組主題歌をひっくるめても、画期的な楽曲だったが、違和感を覚えた層も多かったことだろう。番組も主題歌もテコ入れの対象となり、骨抜きにされ、詰らなくなっていった。
 後年、ロックの多彩化だ、モータウンだ、ヒップホップだラップだと展開した音楽潮流を考えれば、やはりこの主題歌で押しとおすべきだったのだろう。制作現場の感覚の芽を首脳陣が摘んでしまった恰好だったのではあるまいか。

 ♬ ネンネ・・・コッコ・・・ジャラジャラ ジャラジャラ ジャーララ
  シッシ・・・ノンノ・・・ジュイジュイ 十一に~ん(ゆる~い 4/4拍子)

 急きょテコ入れを命じられて、即席で才能を提出させられた制作陣のご苦労に対しては、まことに申しわけないが、なんたる歌詞と楽曲であるか?

 筋立ても大幅テコ入れ。内容が重く、暗すぎるというので、火山大噴火だったか大洪水だったかがあって、登場人物(人形)があらかた死んでしまい、そっくり新キャラクターに入換えられた。災害後の復興と新しい街づくりに努力邁進する、「前向きの」物語とされた。
 脇からチラチラ覗き観していた高校生・大学生らが、離れていったのはむろんのことだ。それどころで済むはずがない。舐めちゃいけない。残酷なまでに正直な、子ども視聴者たちからも、つまんなくなっちゃったと、ソッポを向かれてしまったのだった。

 作家は、井上ひさし山元護久
 声は、熊倉一雄、藤村有弘、若山源蔵、谷幹一藤村俊二野沢那智三谷昇滝口順平、姫ゆり子、梶哲也、納谷悟郎、友竹正則愛川欽也、大村麻梨子……書ききれない。レギュラー外のゲスト・キャラクターまで含めれば、なおさらだ。
 今から振返れば、長年にわたって放送に声を提供したレジェンドたち勢揃いの観がある。黒歴史とまでは申さぬが、そうそうたるレジェンドがたに共通する、残念な思い出として、『ネコジャラ市の11人』は今もあり続ける。