一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

遅れている

夏ころもとりのこされし人のあり

 エアコンを放棄してから、さて何年になろうか。パソコン脇では、昭和の扇風機が首を振っている。

 網戸健在の窓を開けたまゝ寝る。苦もなく寝付けるが、たっぷり寝汗をかくとみえて、目醒めてみると肌着も、シーツ代りのタオルケットも、枕カバー代りのバスタオルも湿っている。これが躰にはよろしいとみえて、起床直後の体重・体温・血圧・心拍数などの数値は、年間でもっともよろしい季節だ。
 計測後は本日最初の水シャワー。数秒はぬるま湯が出てくる。少ない日は三回、多い日は五回、水を被る。股間と脇だけ洗って、ほかは洗わない。なるべく流すだけ。皮脂が失われて、吹き出物が出てきてしまう。例年さようであるのに、うっかり忘れて洗い過ぎたため、今年も手の甲と腕がブツブツに見舞われてしまった。なぁに、注意して不潔を心がければ、数日で引っこむ。

 父は皮膚科の医者だった。夏は書入れ時だった。若いお母さんがたが、赤ん坊の汗疹(あせも)か水疱性膿痂疹(とびひ)で、ひっきりなしに来院なさる。近隣にお住いの、第一子のお母さんは、まず一度は来院なさる。
 「赤ちゃんを石鹸で毎日洗ったりなさいませんでしたか? それだぁ。赤ちゃんは大人のようにすぐに皮脂の分泌ができませんでねぇ。保護膜がない状態なんです。人間も動物ですから、少しくらい不潔なほうが好く育つんですよ。ぬるま湯洗いだけにしてくださいね」
 第二子以降のお母さんがたは、あまり来院なさらなくなる。父から不潔健康法を伝授されたからだ。放っておくほうが赤ん坊は健康だと、体得なさったのだったろう。
 その噺と私とに直接の関係はないが、自前の抵抗メカニズムが非力である点では、年寄りも赤ん坊と共通している。過剰な清潔志向は万病の元だ。

 とはいえタオルケットもバスタオルも、肌着も洗顔タオルも、ほゞ毎日交換となるから、三日か四日に一度はランドリー行きとなる。裸のベッドマットレスには毎日ファブリーズということになる。
 ランドリーでは前半洗濯三十五分、後半乾燥三十分。ハーフタイムには戻らねばならぬが、前後半は買物や散歩に使える。入口と奥の天井に監視カメラが設置されていることに甘えて、出てしまうことが多い。
 こんなところで事件などあるのだろうか。監視カメラとはまた大仰なと、思った時期もあった。が、ある時、監視カメラの画像付きで「これが洗濯物泥棒です」と、店内に貼り出されて、ホントにあるんだなぁと、変に感心したことがあった。二年ほど前のことだが、それ以降この手の貼紙は視ない。

 今日はさいわいにして、急ぎの買物はなく、気楽な補充のみ。ダイソーで使い捨てライター三本セット、ビッグエーで濃縮カルピス・砂糖徳用大袋・小肌酢漬け。たまには素麺でもと思って入店したのだったが、一昨日は棚ばかりかワゴンに山積みだった素麺がすべて売切れ、棚の隙間を埋めるように冷麦が二列並んでいた。どちらさまも同じお気持ですなァ。
 わたしは冷麦でもいっこう構わぬが、うどんと蕎麦のストックは足りていることだし、どうでも欲しいという筋合いでもないので、やめておいた。

 まだ前半のホイッスルまでに間がある。駅前のお不動さまへお詣り。世の中でもっとも貧しき檀家でございますとの意味で、毎回一円玉一個を賽銭箱に投ずることにしている。
 お不動さまの前には、この町の仏のうちでは私一推しの、道標と道祖神を兼ねたお地蔵さまがお立ちだ。さすがにこの陽気だし、お志あるかたによって夏向きに衣更えされたかと期待していたのだが、たいそう温かそうな頭巾と前垂れを着けたまゝだった。


 ランドリーへとって返す道すがら、あるお宅の裏手の空地に、雑草繁茂防止カヴァーが敷詰められてある。かつて私も、造園業のお兄ちゃんから教えられた装置だ。
 なん十年も桜と花梨の面倒を看ていたゞいている庭師の親方とは別に、近年ふとしたご縁で付合うようになった、若い(といっても四十歳ちょい前)庭師さんがおられる。ある時、ドクダミセイタカアワダチソウヤブガラシなど、歓迎できぬしぶとい連中について愚痴ったところ、「簡単ですよ、そんなもん」との返事だった。
 示してくださった案が、除草剤・地表ネット・地表カヴァーの三方法だった。いずれも不承知の理由を述べると、「アタシも多岐さんにはお奨めしねえな」とのご返事。コイツ、案外好いヤツだなあとの印象をもった。

 敷地に毒を撒くなどもってのほか。地表を覆うのは効果的だろうが、ミミズもダンゴムシも生息不可能ということにならないか。すでに土蜘蛛も雨蛙も、拙宅から姿を消していった。合理的であればよろしいってもんでもなかろう。
 そんなことにこだわりながら、草むしりに骨が折れるなどとぼやいているのだから、世話はない。矛盾撞着である。その場限りの手前勝手である。それはそうに違いないのだ。解っちゃいるんだ。 

町のぬしさはさりながらひろい食い