一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

かたまり

麒麟」(作者:赴**)雲南省石林、庶民工芸。1980年ころよりご逗留中。

 太古中国の伝説上の一角獣。雄を麒、雌を麟と云う。世に聖人が出現するときにのみ、姿を見せる。

 省都昆明から十五人乗りマイクロバスで四時間半、峨々たる石の景勝地石林地区に到着。少数民族の居住地区だ。カルスト地形というのか、日本では桂林が広く知られる、天に向って石が林立する地域である。
 急傾斜の斜面を、痩せっぽちの真黒な山羊たちが移動していた。追っている女性牧童は刺繍のような刺子のような、色鮮やかな民族衣装に身を包んでいる。普段の作業着だろうか。観光客もさほど多くない地域だし、まさか観光客の眼差しを意識したものとも思えぬが。

 外国人専用ホテルが一軒だけあった。夜はホールで、少数民族の唄や踊りを観せてもらった。きらびやかな衣装。スピーチの意味を、広州から同行したガイド兼通訳の青年に訊ねたが、なにひとつ聴き取れぬとの返事が返ってきた。
 打楽器と弦楽器による演奏は、初めて耳にするリズムだった。三つ叩いて、四つ振る。文字に移せば、
 ♬ ジャジャジャン、んジャんジャんジャんジャ……となるのだが。
  ♬♩ 、・♪・♪・♪・♪(・は八分休符というか溜め)。六拍子ということになるのだろうか。
 世界各地のリズム感というものは、その地域の生活様式、ことに狩猟なり牧畜なり農耕なり食糧生産の様式から発生したのだろう。この地域の食糧生産手段のなにかしらが音楽化・舞踊化されて、このリズムが生まれたに違いない。
 この夜の晩餐で、私は鶏の足(黄色いもみじ)を初めて食べた。美味かった。

石林夕景、陽に染まっているが一面黒石。

 翌日、昆明へ戻るバスの発着所への道端に、蓆に胡坐をかいて背を丸めた四十恰好の男がいた。右手に金槌、左手にはタガネ。メロンほどの大きさの石にコチコチとなにやら刻みつけている。膝の前には、すでに仕上った完成品らしい黒石の塊が三個ほど置いてある。どれも動物らしい。
 ふと心惹かれて立停まり、しばし眺め、声をかけた。と云っても英単語と身振り手振りである。案のじょう「ストーン」「ハンド」以外は英単語すら通じなかった。最強の世界共通語。スマイルと OK サインと、掌の開閉と指運動。
 「これらを売る気はあるのか?」「ある。俺は百姓だが、これも親から継いだ仕事だ」「一体彫るのに、どれほどの期間を要するか?」「早ければ数週間。三か月四か月かゝるのもある」「どうしてそんなにかゝるのか?」「まぁ観てくれ」
 彼は膝前の完成品を一体々々振って見せた。チリチリと石同士が触合う音がする。どれも口中に玉を含んでいる。素材は石のみだ。むろん継目などない。口の外から細い道具を差入れながら、口中の玉を削りあげるらしい。それが自慢の技なのだろう。彼はいく度も振って聴かせながら、満面の笑みを見せた。

 じつは三個の「商品」のなかに、とりわけ私の眼を惹いたものがあった。
 「この動物はなんだ?」「麒麟だ」「麒麟なら知っている。伝説上の尊い動物だ」「ほう、日本人も麒麟を知っているとはなぁ」「ところで、いくらで売りたいのか?」
 法外に高かった。土産品・記念品の額ではない。が、三個の商品中では格段に手が込んで、仕上りが好い。当然ながら価格交渉に入るべきところだが、バスを待たせている。思えば、彼がこの一体に三か月四か月をかけ、しかもこゝで商売するために然るべき筋からほとんどピン撥ねされるだろうことを想像すると、彼と家族との半年分の生活費ほどの価格にも、やむをえぬカラクリがありそうな気もする。

 交渉妥結。「今こゝで支払えばよいか?」「いや、ちょいと来てくれ」
 彼はやおら立上り、道具も仕掛品も他の商品もその場に置いたまゝ、売約済み商品だけを持って、私を最前チェックアウトしたばかりの外国人専用ホテルへと引連れた。なぁんだ、やはり胴元への見かじめ料込みか。
 フロントマンは、ほんとうにこれを、その金額で買うのかと、怪訝そうな顔で私に三回確かめた。むろんだ、今持って帰る。即金で支払いする。三者三様に不可解な表情のまゝ、取引は完了した。ホテル名義の領収書が出た。
 フロントのメモ用紙とペンを借り、職人に向って、あなたの名前をこゝに書いてくれと頼んだ。フロントマンが通訳してくれた。節くれだった指でガシガシ書かれたサインは、それまで眼にしたことがないほど拙い字で、ほとんど判読不可能だった。
 姓だけはかろうじて「赴」に似ている。中国簡体字を知らぬから「超」か、あるいは別の文字か、それとも「赴」でよろしいのか判断しかねた。それ以上を彼から聴きだすことは、断念するほかなかった。
 バスへと走り戻り、ツアー一同に遅参のお詫びを申しあげ、事情を話して商品を披露すると、なんとまあ高価なくだらぬ買物をしたものかと、一同大爆笑のネタにされた。

 その日はツアーの終盤で、あとは帰国の途を残すばかりだったが、私の財布には小遣いに余裕があった。こゝへ注込もうと、咄嗟に判断したのだった。
 旅程は香港に一泊。市内観光や買物。国境越え鉄道にて広州に向い、途中深圳で国境の河を渡る。広州で観光ののち一泊。中国民航にて国内移動。途中南寧で給油休憩してから、主目的の昆明に向うという道のりだった。
 旅の買物は観光客相手の土産物をあれこれ物色しても、後々の記念になどならぬ。一点豪華主義! これと目星をつけたもののみを、金に糸目をつけずに買い、あとはすべて素通りするに限る。これが私の主義だ。
 出立前に下調べして、香港の免税店でカルチェの白いライターを買いたかった。金色はもともと好きな色ではなく、銀ばかりを使ってきていた。黒にも赤にもその時点で興味はない。ところが免税店に、白は置いてなかった。店員はあれこれ勧めてきたが、白にしか興味ないと断った。するとダンヒルの白を勧めてきた。なるほどこれも見事な品物ではあった。が、どういういきさつだったか記憶が曖昧なのだが、当時ダンヒルの堂々とした偉そうな感じが気に入らなくて、カルチェにこだわっていたのだった。デュポンも眼に入らなかった。
 妥協してまで高価な買物をする筋合いではない。準備してきた小遣いを財布に残したまゝ、旅程を過していたのだった。それが雲南省の山の村で、黒い石の塊に化けた。

 期限切れのまゝ放置したパスポートをどこへ仕舞ったものか、今出てこないのだが、一九八〇年ころの噺だ。深圳は河の両岸に駅舎があるばかりで、ビルなど一棟も建っていなかった。終点の広州駅では、列車から降りてくる外国人を観ようと、鉄柵の向うが黒山の人だかりだった。誰も彼も例外なく、紺の詰襟人民服を着ていた。
 結局はこの石の塊のほうが、カルチェのライターなんぞより佳かったのではないかと、今では想う。