一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

あえて問わぬ

 
 一昨々日、菩提寺さまでは施餓鬼会だった。

 ご本堂でのお勤めは、定時になされた。が、その後のお塔婆いっせいお下げ渡しは、今年もなかった。疫病感染対策として、檀家衆の密集を避けられたのだ。檀家は銘々に墓詣りし、塔婆は寺のかたがたが手分けして、順次各墓の塔婆柵に立ててくださる。
 当日の朝、私はいつもどおりに花と水と線香を用意して、墓詣りを済ませ、ご本堂での読経が始まると、始めの十分間ほどを堂外に立ったまゝ伺い、お先に失礼してきた。
 当然ながら、その時点で塔婆はまだご本堂だ。読経が済んでから、すべての塔婆の戒名と志主が、ご本尊の前でご住職により読みあげられてから、お下げ渡しとなる。

 今朝、お下げいたゞいたお塔婆をわが眼で確認すべく、再度墓参。花はすでに萎れかゝっていた。線香の束は行儀良く完全燃焼していた。新たに線香を。
 新しいお塔婆は墓石背後の柵に立てていたゞいてある。が、父宛て・母宛て、昨年・一昨年の施餓鬼会、各十三回忌など、私なりに定めた並べ順がある。
 施餓鬼会の塔婆とは、いわば父母へのメールである。いったん柵から抜き出して、墓石の前に立て、改めて念を籠める。

 寺男のかたが、長いホースの付いた給水機で、墓地内の水撒きをしておられた。
 「お詣りはこの時間までにしてください。これ以後はお躰に障ります」
 たしかに今日も、猛烈に暑くなりそうだ。
 「安部さんは長野へ行かれるはずだったのに、候補者の不祥事が発覚したばかりに……奈良なんぞに行きさえしなければねぇ」
 まったくですねぇ、と応えはしたものの、脈絡は掴めなかった。咄嗟には『異邦人』のムルソーに、思い当らなかった。我老いたり。もっともへたに思いついて「昨日、母が死にましてね」なんぞと応じていたら、今度は寺男さんが眼を白黒させたかもしれぬが。

 墓地内には、生前父母が親しくさせていたゞいたかたのお墓も数基ある。毎度ながらひと巡り、水をかけて歩く。どうしたの、さきおとゝい、来たばっかりじゃないの、と云われたかどうか。

満開名残。

 境内にミニミニ蓮池がある。残念ながら池ではない。巨大な水盤、巨大な火鉢、巨大な水がめ、巨大な蹲踞、そんなようなものだ。十年ほど前までは蛙が卵を産み付け、お玉杓子がたくさん発生したものだったが、近年はいっそう清潔になり蓮池と化した。
 大輪の花が、まさに触れなば落ちむといった、満開の極致の風情だった。シャッターを切りたかったが、雄蕊に小昆虫が一匹へばり着いていたので、ちょいの間そこをどいて欲しくて、フッと吹いたら、花弁が三枚四枚、はらはらと落ちてしまった。いく枚かは、受け皿のように広がった葉に止った。

 かくして、今年の施餓鬼会も無事終了。冥途の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし。
 気温急上昇の刻限。緊急避難的にロッテリアでひと息。精進落しとは云わないのか、自分へのご苦労賃として、今日はハンバーガー(220円)付き。ジンジャーエールハンバーガーって、取合せとして如何かという点は、あえて問わぬこととする。