一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

散歩


 今朝の散歩は、拙宅から徒歩十分圏内の地元小学校へ。どうせ散歩するなら午前中もまだ涼しいうちにと、就寝時刻や睡眠時間を調整した。

 途中に、学校を側面から眺められる地点がある。立派な植物園だ。というか圃場か。園芸植物や作物の栽培・観察など、理科の実習ができるのだろう。むろん私が小学生だったころには、こんな場所が整えられてはいなかった。
 この季節だからだろうか。それとも疫病下で実習授業が手薄になったのだろうか。花壇も畑も、奥の葡萄棚らしき造作も、満足に手入れされてはいなかった。なにも植わっていない土花壇もあった。いかにも置去りにされた感じのヒマワリが一輪だけ、こちらを向いて咲いていた。
 金網の向うが校庭、その向うが校舎だ。左手が、今日これから赴こうとする体育館である。

 正門は閉され、脇の通用扉が半開きになっている。日曜につき閉門、たゞし所用ある者の通行は阻止しないという意図だろう。ずけずけと踏み入った。
 木造モルタル二階建てだった校舎は、とうに鉄骨三階建てとなっている。それすら老朽化して、昨今の耐震防災構造というのか、M 字型の斜め梁が巡らされてある。
 屋上も有意義に使えるらしい。体育施設だろうか、プールでもあるのだろうか。
 校庭は一面芝生。グリーンナントカ効果だろうか。昔はわずか四レーンほどながら小判型のトラックが、白線で描かれていた。現在では、いい加減なトラックは許されないのだろう。一周なん百メートル。コーナーの角度なん度。インとアウトとのコーナー差なんメートルと、正確でなければ、記録測定もおぼつかない。
 初等教育は格段に進化し、厳密になり、高度になっているのだろう。先生がたも、今は粒揃いなのだろう。

 軍隊経験から脱け出られず、なにかと大声で号令を掛けたがる教師がいた。臨海学校では、どれ俺も泳ぐかと云って、越中フンドシで浜へ出てきたときには、生徒一同眼を丸くした。生徒への依怙贔屓が激しく、大人になってから想い返してみても、気持の悪い教師だった。
 阪急ブレーブズの二軍投手だった教師がいた。球技と陸上トラック種目の指導は抜群で、区内小学校合同競技会では、私らリレーチームはぶっちぎりで優勝した。反面水泳はカラッキシで、区内合同水泳大会ではビリだった。珠算一級で、その暗算速度には、生徒一同息を呑んだ。後年想い返しても、特色ある良い教師だった。
 戦前の女子師範学校を彷彿とさせる、男勝りの怖いお婆ちゃん教師がいた。左足だけひどく内股で、いつも傾きながら歩いた。お前は早く答を出そうとするからいかん、筋道があやふやだと、いく度も叱られた。先に答えを出して挙手する面白味に耽っていた私は、不満だった。素晴らしい先生だった。後年想い返すとあれもこれも、このお婆ちゃん先生のおっしゃったとおりだった。


 さて、散歩目的の体育館へ。こゝをスポーツ目的で訪れた経験はない。地域再開発のための用地買収にまつわる、東京都の説明会や豊島区の説明会で、たびたびこゝへ呼び出された。要は、ご近所の皆さまのためになることだから、ボロ家なんぞ早く取壊して、土地を格安で売れ。今なら多少の補償金を出してやる、という噺である。

 賢い住民がたは、さっさと動かれた。じつにさまざまなかたがたが、拙宅のインターホンを押される。もっともお得なやりようはコレです、とのご提案だ。しばらくのあいだは、やかましいほど頻繁に来訪される。が、そのうち間遠になってくる。忘れたころに様子見に立寄られるかたもあり、いっさい来訪されなくなるかたもある。
 得したければいくらでも相談に乗りようがあっても、べつだん得なんぞしたくないと表明する老人に対しては、ではかような生きかたは如何とのご提案は、なさらぬらしい。興味惹かれる噺だったら伺いたいものと、思っているのに。

 今日は都の用事でも、区の用事でもない。国の用事だ。体育館の入口に立って、気が滅入った。出来合いのフォントを拡大した看板。それはしかたない。各投票所に共通でなければならぬ事情もあるのだろう。が、余白を埋めた、マジックインキか太字マーカーによる「28」の筆跡。これほどまでに幼稚な文字を書くお人に導かれて、私は投票するのか……。粒揃いの先生がたは、これでよろしいと、おっしゃったのだろうか。