一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

それがさて

武藤良子個展(ギャラリーまぁる、渋谷区恵比寿4丁目)7月17日まで。

 武藤良子さんは、当ブログ立上げのさいにお世話くださったかただ。人びともすなるブログなるもの、われもいたしみむとて、興味が湧いたものの、どうしたらよいか途方に暮れていた私に、「はてな」が使いやすいでしょうとご指導くださり、設定いっさいを助けてくださった。今回はご本職の画のお仕事。「百椿図」と題して、椿の画ばかりを集めた個展である。なぜ椿か、というような噺は、ご本人によるご案内に譲るとして。

 私としては、久びさの遠出外出。しかも所が恵比寿となれば、何十年ぶりかである。街の様相は一変しているにちがいない。裏通りに戸口を開いたこぢんまりしたギャラリーで、しかもビルの二階だとのこと。スマホでグーグルマップといった手立てを持たぬ私には、難度高い目的地とも見られようが、楽観して出掛けた。ま、ほとんど無駄道を歩くこともなく、到着できたけれども。

 所番地を頭に入れて、電信柱の番地表示を視逃さずに歩く。こゝが何番地で最前が何番地だったから、おそらく何番地はあちら方角のはずと見当をつけながら歩く。大きく外れることはめったにない。
 住宅地であれば、住所付きの旧い表札があったり、町内掲示板があったりして、より簡単だ。恵比寿駅周辺クラスの繁華街ともなると、都市景観を重視して垢抜けた造作となっていて、旧弊な電信柱が少ない。またビジネスビルや集合住宅は、ビル名が表示されるばかりで住所は明記されていない。
 たしかに難度は高かった。記憶にある恵比寿駅前の景観は、まったくない。が、慎重に眼を凝らせば、電信柱は完全撲滅されてはいなかった。

 「場所は、すぐお判りになりましたか?」
 ギャラリーのかたに訊ねられた。電信柱のおかげを申しあげた。
 「なん十年ぶりかで、恵比寿駅に下車いたしました。こちら口となると、劇団テアトル・エコーの稽古場劇場へ通った時代以来になります」
 「あっ、今もございますよ」
 「そうでしたか。なにせ、研究生だった松金よね子さんが、本公演に抜擢されたと話題になった時代です」
 理解不能といった、無言が返ってきた。

 おいとま後、懐かしさに駆られて少し歩いてみる気になった。が、暑い。全席喫煙可能を謳う「ルノアール」が眼に着いたので、しばらく休んだ。今朝出がけにふと気を起してバッグに入れ、電車内で読返してきた長谷川四郎の短篇集を読み継いだ。いろいろなことを想い出した。短篇とはいえ四十ページ。一篇読み了えてしまったということは、けっこう長い休憩だったのだろうか。

 駒沢通り、懐かしいひびきだ。まっすぐ進むと「香月」というラーメン屋があったんじゃなかったけか。ある時、引越して店を大きくしたんだったよなあ。こゝはどのあたりにあたるのだろうか。
 ビルの一階に、昼間から飲める居酒屋の暖簾がさがっている。視あげると、格子状に区切られた巨大看板があって、ひと桝ごとに食堂だのラーメン屋だの、おでん屋だの焼鳥屋だの居酒屋だのが、ズラズラーッと並んでいる。かつてこゝらで商売なさっていた各店が、総合娯楽ビルのテナントとして寄合ったものだろうか。
 駅に近づくと、今度は市場。発泡スチロール製のトロ箱を無遠慮に往来へ溢れ出させた魚屋が繁盛している。視あげると、やはり格子状の大看板。ビルの奥へと向う通路の両側には、たくさんの商店が店を張っているらしい。

 東口から西口へと、山手線のガードをくぐる。こゝには地下鉄への乗換え下り階段が口を開けているから、おゝよその位置関係は想像がつく。ロータリーをはさんだ対岸のストリートアーチに「恵比寿銀座」とあったには一驚した。変ってねえんだぁ。
 作曲家でジャズ歌手の丸山繁雄さんが悪戦苦闘時代、この通りで「デコボコ」というジャズバーを経営しておられた。溜り場にさせていたゞいた。四十年も前だ。それが今のどのあたりだったか。一階がコンビニ、二階から上が大規模なカラオケ店になったビルの一画が、それにあたるのだろうか。

 丸山さんは落語がお好きで、店内催しとして落語会ができぬものかとご相談があった。落語会とはまた、非常識きわまるほどの狭い店だった。その非常識加減が逆に面白いのではと、私も思った。
 知合いの若手落語家に噺をもってゆき、協力を仰いだ。当時二つ目だった柳家小蝠、今の柳家蝠丸師匠である。無類に勉強熱心だった小蝠さんは、とりあえず私がやりましょうとおっしゃってくださり、日本一(かどうか)劣悪ロケーションの落語会が実現した。さて、何回続いたのだったろうか。記憶にない。

 会場が狭い私設落語会はいくらもあろうが、楽屋も着替え場所もないのだ。恵比寿銀座と平行した一本裏道に、和風旅館風のラブホテルが一軒あった。事情を正直に話して、小蝠さんと私と二人して入店した。畳敷きの部屋となっていて、着替えにはうってつけだった。卓にはお茶も用意されていたし。
 次の間の唐紙ふすまを開けると、煽情的な色合いの掛布団がかかった寝具一対。小蝠さんと二人して腹を抱えたのは、申すまでもない。
 一夜の落語会で、小蝠さんは二席演じてくださる。その間にも、いったんは楽屋へと下がる。つまり入店からチェックアウトまでのあいだに、アラサーの男二人、いく度もラブホテルを出たり入ったりしたのだ。毎回この旅館を楽屋とした。
 それがさて、どこだったろうと歩いてみると、豪勢な洋風造りの、かくれもなく文字どおりのラブホテルが二棟並んでいる。いずれがその昔、和風旅館だったかは、見当がつかなかった。

開催中の展観につき、作品画像不可。ギャラリーにて買い求めたグッズから。

 せっかく晴れの個展だというのに、こんな噺で、武藤良子さん、ごめんなさい。