一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

昭和


 結局はいつものカウンター。わが定番、ハムカツにポテトサラダ。
 昭和ですけど、なにか?

 久しぶりの私鉄電車。出勤ラッシュ時間帯は過ぎているのに、空席はない。人出が戻りつゝあるのか。池袋で山手線に乗換え。いくぶん早足を心がける。油断していると、どんどん追抜かれてゆく。人の流れを邪魔してしまう。
 通学者・通勤者であるころ、流れに乗れぬ人を迷惑と感じたものだ。蔑視するつもりはなかったが、こういうかたは人出の少ない時間帯にゆっくり外出願えぬものか、とはしばしば思った。
 今はラッシュ時ではない。にもかゝわらず、私は流れを邪魔してしまいがちだ。乗換駅なんぞを歩くべきでない身となったということか。中学一年からだから、この駅で六十年乗り降りしたわけだけれども。

 乗車した山手線では、扉近くに立ち位置を占める。途中駅の乗降口は反対側で、こちら側は新宿まで開かないからだ。鞄から文庫本を取出す。胸ポケットから老眼鏡も。
 新大久保を過ぎたら本を閉じ、周囲の乗客に小声で断りながら奥へ移動。新宿でドッと下車する人波に押出されてしまわぬようにだ。
 新宿でも座席に隙間はできなかった。が、六分後に渋谷で眼の前の座席が空いた。そうか、今は新宿より渋谷のほうが、乗降客が多いのか。それとも通勤・通学時間ではないからなのか。

 わずかな残り時間ではあったが、なにごとも経験。腰掛けてみた。と、隣りの三十歳前後とおぼしき青年が、黙って立ちあがった。下車したわけではない。発車してからは扉近くに立っていた。
 私の着衣が煙草臭かったか、マスク越しの息が臭かったか、あるいは年寄り臭かったか貧乏臭かったか。いずれにせよ、とかく老人は臭い。青年には、お気の毒なことをしてしまった。満席の山手線になんぞ乗るべきでない身となったということか。
 青年は、私と同じ駅で下車し、先を歩いていった。

 それより五十分ほど前のことだ。訪問先へなにか手土産の茶菓子でもと思いたって、私鉄を池袋とは逆方向へ数駅。最近行きつけの和菓子屋へ寄った。昔から知っていた店だが、なにせたいていの外出先とは逆方向なので、利用機会は多くなかった。が、最近急に増えた。
 それまで手土産といえば、まずは池袋の百貨店名店街へ飛込んだ。なんでも間に合って重宝だった。今も定連のひとりに数えてくださっている店もある。
 しかしこゝのところ、目星も心づもりもないくせにとりあえず名店街へ、という気分になれない。人混みが億劫なのだ。たんなる人混みではない。眼移り・品漁りしながら各人てんでの歩行速度でブラウン運動しながら、なかには人の流れなど眼中になく通せんぼして気づかぬ人も少なくない。気持が疲れてしまう。
 軒を連ねる名店数々から、名だけ知って味を知らぬ店を試したり、勝手知ったる老舗であっても、新商品や季節商品に注目したりしながら、気まゝに品選びなんぞすべきでない身となったということか。

 訪問目的を果し、なん十年ぶりかで訪れた街の思い出歩きも済ませたら、わが町へと一目散に戻る。
 この季節、あたりはまだ明るい。居酒屋は暖簾を出したばかりだ。おそらく私が、本日最初の客だろう。いつものカウンターで、わが定番、ハムカツにポテトサラダ。
 昭和ですけど、なにか?