一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ゆかしい


 ハガキ投函しに、駅前のポストへ。午前中のうちに、わずかでも歩きたい。

 神社へ立寄る。鳥居下の主たるキトラの姿は見えない。
 拝殿では、宮司さんがひとり、神事をおこなっておられた。そうか、今日は海の日だった。
 いかなることにも、先刻承知なさって密かに注目しておられるかたはあるもので、四十恰好の女性がひとり、筒状のズームレンズ付きのカメラを拝殿に向けておられた。
 私は彼女をカメラに収めたが、いくらなんでも憚りあって、こゝには出さない。

 海の恵みに改めて感謝を捧げ、海洋国家日本の弥栄(いやさか)を祈念する日ということになっている。ハッピーマンデー制度により月曜日と改定される以前は、七月二十日に固定されていた。明治天皇が東北地方巡幸を了えて、横浜港へと無事ご帰還の日、が起源だそうだ。
 その船が軍艦ではなく、灯台視察船だったことにも、意味があったのかもしれない。武張った官軍示威ではなく、新時代の安定統治イメージを強調した行事だったろうか。
 それは明治九年七月二十日のこと。翌年には西南戦争が起きる。実情は平和的安定政権には程遠かった。
 この日が「海の記念日」とされたのは、昭和十六年のこと。いったいどんだけ、明治天皇の威光を借りて軍政を敷きたかったのだろうか。

 この神社は、本殿脇に明治天皇関連の小社もあって、同天皇とはことのほかゆかり深い。宮司さんが神事を催すのももっともだ。
 明治政府の統治を誉とするか批判するかは、このさい別問題。おゝっぴらに告知宣伝するのでもなく、氏子衆に召集を掛けるでもなく、宮司お一人がしめやかに神事をとりおこなう姿は、ゆかしきものだ。「伝える」とは、そのような姿をしたものと考える。

 境内には、銀杏や樫や楠や赤松の巨木多く、これほど深い天然の日陰は、この町にはこゝ一か所しかない。往来に面した塀ぎわに、一株だけ夏蜜柑の樹がある。毎年、濃淡の部厚い緑の奥に、色鮮やかに実を着けて、道行く者だれの眼にも着く。
 実が伐り取られた、盗まれた、という噂を耳にしたことはない。わが幼きころであれば、欲しいなぁと思ったに違いない。だからといって、じっさいに持帰ったりしようものなら、お袋から顔が腫れあがるほどひっぱたかれたことだろう。
 往来に落ちた一果を拾って、垣根の根かたにそっと置いて、立ち去られたかたが、どこかにいらっしゃる。

 拙宅の花梨が、まだ完熟前の実もあったのに、一夜のうちに丸坊主にされたということが、十年以上前に一度だけあった。以後はない。往来に自然落果していてさえ、放置されていることも多い。
 だが今後は判らない。果樹農園から収穫直前の作物が大量に盗まれたというニュースを耳にすると、被害金額の何十倍も気分が悪い。「美しい」と遜色ない頻度で「ゆかしい」が用いられていた時分の日本語は、賞味期限切れ近いのだろうか。

 祝日につき、川口青果店は休み。人参・玉ねぎ・カボチャは明日以降に。
 ビッグエーでは、玉子不揃いパック、納豆パック、小肌酢漬、濃縮カルピス。どんだけ変り映えないんだと云わむばかり、常備品の補充。