一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

粥論



 乾燥カット若布をひと摘み。トロロ昆布をひと摘み。生姜スライス一枚をみじん切りにして投入。飯茶碗半膳ほどの小分け冷凍飯一個。炊くときに細切り昆布を混ぜてあるので、小分け冷凍飯にも不均等に昆布が混じる。五分待つ。乾燥若布がもどるまでの時間だ。
 鍋に蓋して、細火でコトコト。噴きあがってきたら、蓋をずらして蒸気抜き。ほどけきらぬ冷凍飯に、時おり玉しゃもじで周囲の湯をかけ、解凍を促す。完全に解凍したら、あとは水分の残り加減を看るだけ。
 年月とともにわずかづつ変容してきたものの、基本的にはこのスタイルで、粥飯を主食としてきた。急性心不全、つまり夜半突然の心臓発作による呼吸困難に襲われて救急車騒ぎを引起して以来、この八年近くの習慣だ。

 肺に水が溜った。それを掻き出そうとして心臓が必死に活動を続ける。ついにオーバーヒートした、という症状だった。
 救急車が下りトンネルをくぐって横づけされる、地下の救急救命治療室というところは、ドクターがたは壁とか仕切りなどと称んでおられたが、私に云わせれば金網である。視通せることが必要なのだろう。
 金属パイプ剥き出しのごつい機械だの酸素ボンベだのが、そこらに無造作に置かれてある。刻々の血圧を把握するために、手首に穴をあけて動脈に管をつなぐさいには、
 「よぉし消毒するからねェ、ちょっと痛いよォ」
 茶色い瓶を逆さに振って、私の腕から掌にかけて、消毒液をぶっ掛けられた。こゝでは脱脂綿だのガーゼだのピンセットだのと、まだるっこしいものは使わぬらしい。ドクターも看護師さんも、当然の顔をしている。
 一方の扉の向うには、階上へ向う階段やエレベーターがあるらしいが、別方向の扉の向うは霊安室である。

 切開して水を掻き出すだの、注射針をブスリとやって吸い出すだのは、できぬ相談らしい。安静にして、血圧や心拍数やその他の数値を管理しながら、小水のかたちで水を抜いてゆくほかないらしかった。鼻にも口にも、尿道にも肛門にも、手首の動脈にも、いく本もの管を差し込まれて、入りも出も管理された。
 救急救命に二日半いて、三日目の夕方、循環器内科の病棟へ移された。以後二日に一本平均で管が外されてゆき。十日ほどで、病棟入院患者らしくなった。
 職場の上司(学科主任教授)に迷惑をかけた。在京の従兄弟たちにも迷惑をかけた。OB 連中の何人かにも迷惑をかけた。ゼミ所属学生諸君には、手足となってもらった。

 丸一か月の入院は長かった。二週間ほどで水は引いたものの、そもそも水が溜った原因が突き止められない。それが解消されねば、また溜る。
 心臓に不整脈が計測される。これが悪さをしているのかもしれない。心臓のどこやら一か所をチリッと火傷させて、不整脈を停める治療を受けた。
 左側を下に横たわったまま、私は麻酔で眠ってしまう。右の腰骨のあたりから血管にごく細い器具を通し、どこをどう進むものか先端が心臓にまで達する。進行をバックアップ監視するもう一本の管が鎖骨のあたりから入っており、二本の管の連携で心臓の急所をチリッとさせたらしい。効果あったか、不整脈はいちおう停まった。

 あとは経過を看ながらのリハビリだが、これが量も質も微妙だった。整形外科や外科患者のリハビリは、要するに罹患前の元気だった状態を目指して一直線に回復させれば事足りる単純なものだが、心臓患者はさようなわけにはゆかない。エクササイズが弱過ぎれば効果が薄いし、強過ぎれば心臓に悪影響を及ぼす。しかも量と質の両面においてである。
 平面を並足で歩く。長い距離を歩く。早足で歩く。階段を昇り降りする。インターバルを空ける。連続で歩く。曲り角を歩く。ものを持ったり背負ったりして歩く。理学療法士さんはつねに監視を怠らず、連続血圧や心拍数の推移を頻繁にパソコン画面でチェックしながら、私に指示してくる。個別事情を看ながらの、手探りリハビリだ。
 心臓患者を担当できるようになれば、理学療法士も一人前だそうである。一週間あまりリハビリに集中して、この理学療法士の青年とはすっかり仲良しになった。

 十日間の絶食と、その後の徹底した摂取カロリー制限のおかげで、肥満体が十数キロ減量できた。リバウンドが心臓の敵であるのは、申すまでもない。
 ほゞ治療が終了して、様子見とリハビリを残すのみとなったころ、希望があればこの機会になんでもと主治医が云ってくださったので、私は栄養士さんからのご指導を願い出た。独り自炊暮しにつき、従来気をつけてきてはいたものの、しょせんは我流の食事観。このさい徹底的に食事に向き合ってみようかと思い立ったのだった。

 退院後は、粥主食となった。味は昆布と若布と生姜。今日のトッピングは擦り胡麻と紫蘇フリカケとアオサ粉。不味くはないが、なにかが足りぬ味だ。塩をひと摘みも入れていないからだ。だからこそ梅干だのらっきょうだの味噌漬だの、酢の物だの納豆だのが活きる。美味い粥飯マイナス塩分。目下の私の定番主食である。
 退院時の体重より、現在さらに十キロ減。救急車時より二十五キロ減で、老後を迎えたことになる。