一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

アートの日



 他意はない。なにを隠そう、女性の腋がことのほか好きだ。それだけのことである。

 打合せの用件があって、昨年の春先までお世話になっていた大学へ、久びさに赴いた。途中、中華料理店の入口の真上に、巨大な看板が掲げられていた。どうやら隣のビルに、フィットネス・ジムが開設されているらしい。


 正門では、手をアルコール消毒して、鏡状の体温測定機の前に立ってから、守衛所に向う。あたりに立哨する守衛さんがたも、守衛所内にあって入構手続きしてくださるかたも、お顔に見覚えあるかたがほとんどだ。
 記帳して、入校証をいたゞき、首に掛ける。在職中は、こういうものをお預りしたことはない。出勤簿代りの教職員入構台帳にサインして、軽く手を挙げるか、会釈しただけだった。今は外来の人間だから、当然だ。それだけのことである。

 学科内に編集部を置く文学雑誌の主催で、夏休み期間中に「文章講座」が開かれることとなった。若者たちに向けて、なにか手ほどき的な噺をせよとのご用命が、私に舞込んだ。丸投げのままでは主催者もご不安だろうから、項目と筋立てについておゝまかな腹案を届け出て、こちらからも不明の細目についてお訊ねしておく、というのが今日の用件である。
 当日は肉声かマイク使用か。会場に集う学生以外に、外部からのズーム参加も受付けるらしいが、その場合の配慮をいかにするか。当日の段取りについて、編集部と私とのあいだに認識違いはないかのチェックである。

 学科事務室の応接デスクにて済ませた。あたりのデスクで庶務に当っている助手さんたちも、おゝかたは顔見知りだが、なにせ今では当方外来者だ。
 「ごめんくださいまし。お邪魔いたします」
 丁寧な物云いを心がける。眼を丸くされたり、気味悪そうにされたりした。
 打合せは、小一時間で済んだ。予想外の波瀾も脱線もなかった。
 「おゝい、今日このあと、空いてる者あるかい? ちょいと時間潰しておくから、そのあと生ビールでもどうだい」
 在職中であれば、相手の迷惑も考えずに、だれかを付合わせたところ。
 「もうお帰りですか?」
 不思議そうな口吻を漏らされてしまったが、用向き了れば当然おいとまする。部外者になるとは、さようなことだ。それだけのことである。


 敷地のはずれに、屋外彫刻作品がモニュメントとして置かれてある。以前から気に入っている作品だ。長く平らな一枚の板だったのが、一方に巨大な岩石が落下したために、中ほどからボキリと折れたもようを造形化している。
 作品の眼目は、巨大な岩石よりも、また左右に分かたれた板よりも、作品頂上に生じた板と板との隙間が、もっとも緊張した空間だという点にある。
 なにもない空間がもっとも緊張している。板なり岩石なりの実在物は、非在空間の緊張を生み出す周辺存在に過ぎないというのが、この彫刻作品の主張だ。

 在職のころ、ゼミ生らを作品前に立たせて、こんこんと説明したものだったが、へぇー、ナルホドネ、との反応ばかりで、そこから話題や着想を拡げてゆく学生に、ついに出逢わなかった。
 ベートーヴェンの第五「運命」の冒頭。あれは、「ジャジャジャ、ジャーン」ではない。「ンジャジャジャ、ジャーン」である。冒頭に休符がひとつ入っている。音の出ていない冒頭の「ン」が大切なのだ。
 美術や音楽にあるアイデアが、文学にだけないなどということは、ありえない。言語表現の究極と、無言との関係……。文学専攻の若者に一度は考え及んで欲しい課題を提供したかったが、ほとんどの場合、空振りに了った。
 私に教員としての力が足りなかった。それだけのことである。


 芸術大学らしく、入構してすぐの位置に自由に入れるギャラリーがあって、学生や院生によるグループ展が入替り立替り催されている。毎度愉しみにしている。若い感性に触れる、私にとっては数少ない機会だ。
 故郷風景を描く三点連作が出ていて、いずれも気に入ったが、ことに夜の繁華街を描いた一点に惹かれた。温かいような寂しいような、優しいような虚しいような、不思議な画だ。
 作者奥野峻平さんについては、なにひとつ存じあげない。撮影許可もいたゞいてない。むろんブログへのアップ許可も。作者のお眼にとまって叱られたら、たゞひたすら全力で謝る。それだけのことである。