一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一人席



 七夕の日にこと寄せて、小学校の教室で児童らがめいめいに書いた短冊らしい。帯状に連ねて、吹流し状の飾りに仕立てたのも、児童らの工作だろうか。そのまま廃棄も夢見が悪いと、神社に奉納されたのだろう。ゆかしき教育と申せよう。
 大鳥居前に飾り付けた神社も、素にして雅とでも申すべきか、あてなるなさりようだ。

 のろまの私にしては、よく動いた一日だった。銀行ATM で、生活費と交際費を引出す。
 郵便局へ。小さな学会に年会費を振替送金。ことごとくのお付合いをご辞退・ご遠慮申しあげるようになったが、設立時から関係しているこゝだけは、脱けるわけにもゆくまい。もはやなんのお役にも立てぬし、私とて今から勉強もいたしかねる。が、今も頑張っている戦友がごときご仁もおいでだ。激励の気持といったところか。

 池袋の日比谷花壇へ。この春先に夫人を亡くされた友人が、新盆を迎える。東京暮しが長いとはいえ、ご親戚も高校までの学友も郷里に多い上京組だから、旧盆だろう。八月十日ころに飾っていたゞく花を視つくろって、予約する。全国どちらへも、花を送らせていたゞく場合にはこの店からと決めて、はて二十五年以上にはなろうか。

 江古田の菓子舗へ。手土産の視つくろい。今から用向きで出向く訪問先の、守衛室と事務所に茶菓子少々。
 用件はあっけなく片づいた。お若い顔ぶれに声をおかけして、そこらへお誘い出しとも考えぬではなかったが、やめにした。こちらは愉しかったり懐かしかったりしても、先方は年寄りの相手なんぞお退屈に相違ない。


 わが町へととって返し、ロッテリアにてこまめな水分補給。今日はジンジャーエールにした。二階の窓からブラインド越しに、神社の大鳥居前が正面に眺められる、いつもの一人席。
 そこで眼にしたのが、吹流し状の七夕飾りである。


 子育ても孫育ても、いっさい手掛けたことのない身には、児童たちを取巻く現実について、まったく知るところがない。いじめ問題だ、塾の過熱だ、モンスターペアレンツだ、教諭のブラック労働環境だと云われても、みずから見聞経験してはいない。ラジオで、荻上チキさんや武内陶子さんから伺ったところや、ユーチューブで宮台真司さんや神保哲生さんから教わったところから、一歩も出ない。
 テレビはまったく観ないが、ネット情報は溢れている。けれどはなから信じる気はない。あらゆる問題に対して意見感想を持つべきだとする、危なっかしい人間観に、私は与しない。ひとつことに真剣に生きれば、世の中の多くの問題に対して「その件については意見ナシ」となってしまうはずと、考えている。


 それでも、児童たちの願い事のなかには、考え込まされたり胸を衝かれるものが、いくつもあった。そういう現実もあるのか……。しかしそれらすべてに対して、なにがしか関わる糸口が、私にはまったく思いつけない。

 川口青果店で、玉ねぎと人参。到来物の惣菜類が冷蔵庫に豊富なので、カボチャと胡瓜は今回パス。
 サミットストアで、甘ラッキョウモンダミンお徳用ボトル。
 ビッグエーで、手焼き風昔油揚げと生味噌仕立て即席シジミ汁と徳用料理酒。

 今日はけっこう動いた。つい自分に甘くなって、結局はいつものカウンターで、いつもの一人席。待てよ、なん日か前にもこの席で、シャッターを切った覚えがある。