一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

半端



 カンナの花に格別の憧れを抱いた思い出をもつのは、とある世代以上の老人がたに限られるのではあるまいか。

 散歩コース、と恰好つけて申してみたところで、買物かランドリーか、散髪か銭湯か、墓参りかへ出向く道みちということだけれども、カンナの花が咲くのは、こちらのお宅さまとフラワー公園との二か所に過ぎない。
 フラワー公園のカンナは、敷地隅に置かれた地下鉄車輛から裏手近くの公衆トイレへと抜ける細路脇の、目立たぬ花壇に、いく株かが集中して植わっているだけだ。公園全体の植栽バランスから視ると、脇役どころか、余白を埋める捨てカットのごとき存在だ。芝居で申せば、通行人A である。

 そこへゆくとこちらのお宅では、堂々ご門脇だ。ブロック塀が折れ曲って、ご門が往来から三尺ほど奥まっているが、その三尺を活用して、ご門扉脇の郵便受け口下を小ぢんまりした花壇となさっておられる。
 そこへ笹と、紫蘭かなにか細葉の緑をバックに、カンナが威容を誇る。

 大都会であくせくする上京小家族が、四畳半かせいぜい六畳間に住むのが当りまえだった時代に、カンナの花が咲くのは、洋風のお庭がある裕福なお屋敷(お大臣と称んでいた)に限られていた。
 父方も母方も土地持ち自作農だったから、田舎のお祖父ちゃんち・お祖母ちゃんちには、田畑もあり敷地も広かったが、カンナが植わっていることなどありえなかった。

 就学年齢に達したころ、憧れの暮しと想い描いた図は、赤い屋根の小さな平屋で(なぜか二階建ては想い浮ばなかった)、狭い庭にはわずかの花壇が切ってあって、カンナが植わっていた。
 父ちゃん! と少年が駆け足で帰ってくる。半ズボンで、膝小僧を擦り剝いて血が渇いている。どうした? と訊ねる父親が、私である。
 その後の六十五年が、似た箇所のひとかけらもない人生だったことは、申すまでもない。

 憧れの家には、犬がいた。シェパードがいゝなと思っていた。大型犬にして、しかも和犬より顔が細長いのが精悍そうで賢そうで、カッコイイと感じていた。
 「名犬リンチンチン」というテレビ西部劇に子どもたちが熱中したのは、少し後だったろうか。西部開拓を補佐する騎兵隊内で可愛がられているシェパードが、大活躍して隊員の危急を救ったりする噺である。
 騎兵隊ものは西部劇の主要分野のひとつだったが、少数民族問題への配慮から、今日再生産されることもリバイバルされることもなくなった。


 当時日本で大流行した犬種はと申せば、スピッツである。純白のふさふさした毛質が特徴の小型犬だ。視た眼の愛くるしさから、女性には人気抜群だった。有閑階級のザアマス夫人が腕に抱く犬といえば、そりゃあスピッツ以外にはありえなかった。
 プードルや、マルチーズや、ポメラニアンが日本人の愛玩対象となるのは、ずっとずっと後年になってからのことである。

 が、なん年かして、スピッツの大流行は下火となり、やがて終息していった。
 もとジャーマンスピッツという洋犬だが、視た眼とはうらはらに神経質で気性も激しく、とにかくキャンキャンとよく吠えた。
 今日ではご法度だろう男隠語で、「スピッツのような女」といえば、可愛いのは視た眼だけでじつは付合いにくい女性、という意味である。
 その後長きにわたる生産者がたのご努力があり、気性穏やかな個体同士の交配を重ねることによって、日本化したスピッツも登場したと聴き及ぶが、ブームは再来しなかった。

 似た例に、コリーの場合がある。
 「名犬ラッシー」というアメリカのテレビ家庭ドラマが人気を博して、子どもたちの憧れの犬種となった。常識を破る細長い顔。かすかに垂れ眼で、優しげに人間を視詰める眼差し。
 なにせ住環境からも家計事情からも、日本人のおゝかたにとって、大型犬を飼うことなど想像できぬ時代だった。なかで多少の余裕ができた小金持ち家庭で、よせば好いのに、コリーに手を出した。
 ところが、いかにも暢気そうでお人好しそうに見える馬面とはうらはらに、コリーは気性が激しい犬だ。だいいちその細長い顔は、蟻塚だろうが狸穴だろうが、鼻から顔まで突っこんで掘り返してしまう、優秀な猟犬として進化してきた犬種である。子ども主人公の親友として家族をまとめる役割を果す、家庭ドラマの犬とはワケが違うのだ。
 散歩(運動)の必要量も半端ではない。結局は、日本の愛犬家の手には余る犬だということが、あきらかになっていった。

 私自身は三頭の犬と付合ったが、いずれも大型犬ではなかった。それはそれで面白くはあったし、得られた教訓も多かった。が、いかにも半端である。
 カンナもシェパードも、実現できなかった。心残りかと問われれば、そうでもない。かといって、これはこれで満足かと問われれば、そんなこともない。半端な気分だ。