一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

爽快だが



 ズボラをきめこみ四週間。早朝一番出し。わが暮しの一か月分が、ありありと判る。

 月曜は資源ゴミ回収日だ。資源ゴミについては、わりに気を遣っている。不動産会社からのダイレクトメールには、アート紙にカラー刷り八ページの豪華パンフレットが入っていたりするが、中トジのホッチキス針は外して、缶珈琲の空き缶に放り込む。むろんアート紙はボール厚紙類とも上中質紙とも別に分類する。
 ボトルの金属ふたをキリッと開けると、ミシン目が切れて、細い襟巻が溝に残る。たいていは爪で、頑固なものは鋏を使って剥し、これも空き缶に放り込む。

 まだ戦後貧困の残照のうちにあった幼児期に、身に入った感性だろうか。金属を惜しむという点については、妙なこだわりがある。幼児期の遊びで、馬蹄形の磁石を持って砂地を歩いたり砂場へ入ったりして、砂鉄を集めた経験をもつ、最後の世代かもしれない。
 さすがに磁石を曳きずって、折れ釘や屑鉄を漁ったというのは、もっと上の世代のご経験だが。

 納豆パックやフタなども、小物ではあるが、発泡スチロール容器に分類している。ワサビ漬や小肌酢漬の小型トレーも、弁当殻と同じに扱う。着色加工された発泡スチロールをも含むと、区からお達しのマニュアルにあったからだ。ヤクルトなど乳酸飲料の小ボトルも「その他の樹脂ボトル」として発泡スチロールや洗剤ボトルと同分類にする。
 醤油や濃縮出汁の容器は、飲料類より厚手ではあるものの、まあペットボトル類としてよろしかろう。どう視ても、成分製法ともに同類だ。

 じつはかねがね迷っていることがひとつある。問題は、酢だのとある蜂蜜だのの、精巧な合成ガラス容器だ。回収コンテナには「bottles 瓶子」と書いてある。
 「瓶子」がガラスを指すのであれば、酒瓶・ビール瓶・薬瓶その他、純然たるガラス製品の回収という意味だろう。合成ガラスは樹脂製品であって、ガラスではない。
 が、ペットボトル類とは、製法においても厚みにおいても強度においても、明かに別物である。成分だって、ずいぶん異なるにちがいない。かといって「その他の樹脂ボトル」として洗剤や消毒液と一緒にしてしまうには、いかにも忍びない。見てくれも重さも、どう視たってガラスである。指先で弾いてみて、音色が異なるだけだ。
 目下のところ、肉眼と手触りに曳きずられて「瓶子」に分類してしまっているが、確たる定見はもたない。定見あるかたのご指導を仰ぎたい。おそらくは処理工場のベルトコンベアー上において、ガラスと非ガラスとを選別するお手間を煩わせてしまっているにちがいない。肉感と科学とは、必ずしも一致しない。

万能ヒジキ豆タップリ丼

 早起きのご近所さんに先駆けて、なぜ早朝一番にゴミ出しできたかというと、昨夜(というか夕方)早々に寝てしまったからだ。陽気の故か、疲れやすい。眠くはないが、頭がボーッとしてならない。どうせ仕事がはかどらないのであれば、水シャワーを浴びて、寝てしまうに限る。アイスノン枕と熱さまシートの絶大功徳によって、寝酒が不要だ。これは大いなる倹約。
 という次第で、十時間も眠ってしまった。気づかぬうちに、躰が睡眠を欲していたのだろう。

 そうなると老人の場合には、水分・栄養の補給システムは大丈夫かとの問題となる。水分に関しては、日常「小まめ」を画に描いたように実行しているから、一夜くらい問題なかろう。懸念は食事だが、わが献立中の最強アイテム、ヒジキ豆タップリ丼。ヒジキと大豆に、人参と竹輪と生姜を合せて、甘辛で炊いてある。これを粥飯に山盛りかけて、あとはいつもの目玉焼と納豆と酢の物に漬物。食後に牛乳。
 完食すると、一日一食でも栄養不足とはならない。空腹感はパソコン前で駄菓子を間食する程度で間に合ってしまう。宵のうちに眠くなって、アレッ、今日はまだ一食しか…となっても大丈夫だ。季節が好ければ、寝酒に肴となるところを、省略してしまえる。

 そこで夕方就寝。寝過ぎるほど眠って明けがた起床。ご近所一番にゴミ出しが可能となった。
 気分爽快ではある。が、これでは人生があまりに短い。毎日こんなことばかりは、していられない。