一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

不具合

 


 十四か月ぶりに、パソコン不具合だ。入力すると、風景写真に固定されたまゝ、立上らない。微動だにしない。

 きっとまた私が、無意識のうちに余計な操作をしたのだ。さように決ってる。それが証拠に、昨夜就寝前(つまり本日早朝)は異状なかった。
 配線は調べた。延長コードでタコ足つなぎしているどこかのプラグかジャックが、抜けかけることは、まゝあることだからだ。異状なし。モデムも点灯している。

 だいいち、このB機が動いている。B機は普段、趣味・遊び専用にしている。古い台で、ウイルスふんだんたるものか、万事に反応が重い。それにサービス期限切れの、ウィンドウズ7を搭載したまゝだ。
 数年のうちに7の時代ではなくなると、はっきりしたころ、当然ながら10に積み換えようとの気にはなったが、それまで存分に使い倒してきた台だから、このあたりでよろしかろうというので、A機を設置した。
 廃車ならぬ廃機処分すべきところを、重ったるくともかろうじて動くし、ネット接続は危うかろうけれども、ダウンロード済のアプリで遊んだり、DVDを観たりするぶんには差支えあるまいと、そのまゝにした。私専用ゲーム機である。

 そのゲーム機で今、書いている。書くべきことがあるのだ。
 地元神社の祭礼が、今年はいかゞあいなるやとの話題を上げた直後、冷静に考えた。警察・消防・区役所をはじめとして、学校・商店街・町内会。地元企業や香具師組合まで、ひとつの決定で万単位の人間が動く大行事だ。九月第二週の実施について、まだ発表がないなどとは、常識的に考えて、ありえない。私がぼんやりと無知のまゝに過ぎているだけだろう。

 散歩の途次、というより半ばそれが興味で散歩に出たのだったが、果たせるかな神社の掲示板にしかと告知されてあった。
 九月十日十一日の両日、神社行事としての祭礼は、執り行われる。たゞし露店はいっさい出ない。
 定めどおりの神事が、定刻に行われ、神楽も奉納される。日ごろから信心篤き氏子有志は参列予定となっている。一般は夜九時まで参詣できる。ライトアップ設備などはない、仄暗い境内にて、神事はしめやかに執り行われるのだ。

 私はもう二十年近くも、祭礼の日にお詣りしてこなかった。露店が呼び物の、ラッシュアワーそこのけの人出に、尻込みしてきた。元旦の初詣も、長蛇の列に意気阻喪して、退散してきた。が、今年の祭礼にはお詣りしてみようかとの気を、いさゝか起しかけたところである。