一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一キロ増


 門扉を出たところが、駐車スペースとして狭いコンクリ打ちになっているが、今朝もミミズが新たに一匹、死んでいる。この夏、五匹目だ。
 毎夏、猛暑絶頂のなん日か、長くともせいぜい二週間ほどの現象だ。地中の熱が上りすぎて、宛どなき移住の決断にいたったものの、方向選択を誤ったものだろうか。まだ片づけ屋の昆虫たちは、やって来ていない。

 「蚯蚓(みみず)」は夏の季語。「三夏」つまり夏をつうじての季語だ。関連季語に「蚯蚓出づ」がある。歳時記上はこれも三夏とされるが、彼らが頻繁に地上に姿を現すのは梅雨ころだから、仲夏の季語としてピッタリ来る。
 私想うに、新たに「蚯蚓惑ふ(みみずまどふ)」を猛暑絶頂である晩夏の季語として提案したい。季語として定着させるには、みずから佳句を詠んで句集を編み、人口に膾炙するところとなって、未来の歳時記編者に採用されねばならぬ。余生の課題のひとつとしておく。

 「蚯蚓鳴く」という秋の季語がある。春の季語に「亀鳴く」があると同様、聞えもしない動物の鳴声に、先達俳人らは想い深くして耳を傾けなさったという例だ。
 亀の鳴声については、出典の古歌があるようだ。ミミズの鳴声のほうには、現代ファンタジー作家がたの顔色なからしめるような、民間説話が伝えられている。

 昔むかしの大昔、蛇には眼がなかったそうな。その代りたいそう美声で、唄が巧かったという。ニョロニョロ界で、レイかスティービーだったわけだ。心底から憧れていたミミズが訪ねていって、唄を教えてくれと願い出たところ、簡単には教えられないと断られた。どうしても教えてくれとミミズが懇願すると、相応の覚悟はあるんだろうなと存念を確かめたうえで、その眼と交換するなら教えてやってもよいと、蛇は応えたそうな。
 そんなことがあって、蛇には小さいながらもパッチリした、よく見える眼があり、ミミズは鳴けるようになったという。
 この科学史を伝承したのは、名もなき無数の庶民たちである。そしておそらくは螻蛄(おけら)の鳴声だったろう音を「蚯蚓鳴く」と聴いたのは、先達俳人がたの耳である。「おけら」も夏の季語だ。

ベルナール・ビュッフェ(1928‐1999)
カンヌ映画祭アナベル(1960年)カンヴァス油彩 130×195cm(部分)

 尖った感性が好きである。が、自分自身には、さような傾向はいさゝかもない。
 尖ってみたい、磨きあげ輝いてみたい年ごろは、人なみにあった気がする。しかし尖ってばかりで生きるわけにはゆかなかった。かといって円満な球体にもなれなかった。重厚な石にもなれなかった。

 昨日、ある雑誌編集部から取材を求められた。とある嗜好品の特集を編むので、それについて思い出なり耳よりな噺なりがあれば聞かせろ、といった趣旨である。
 既刊誌を拝見すると、紙も刷りも、話題もデザインも、品質が追求された高級誌だ。年収ン千ン百万円以上の定期購読予約会員のみに向けられた雑誌で、一般販売は念頭に置かれてないという。当然ながら、書店に配本されることはない。
 高級時計や投資計画の広告が載っている。蚊取線香や扇風機の広告は見当らない。さような雑誌の読者さまに向けて、私ごときがなにを語るかとの、根本的疑問があるにはあるものの、驚きを超えて呆れ、それをも通り越しておかしく感じてきて、結局はつねのごとく、正味三割・脱線七割の放談にて責めをふさいだ。


 ご担当の編集者さんも取材記者さんもご婦人だったので、お近づきにそこいらあたりで、とお誘いするのはご遠慮申しあげて、せっかく外出したのだから、独りで焼鳥屋コース。
 尖った感性が耄碌して鈍磨するのは解る。もともと尖らなかった感性は、耄碌するといかなる仕儀となるのか。画はなんとなく思い浮んでくる気がする。最適な言葉が見つからなかった。
 本日起床後の体重は、一キロ増だった。