一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

はた迷惑

A機、よみがえる。

 わがパソコン顧問のながしろさんに出張してきていたゞき、A機が復活した。まだ買い替えの必要はないとの、ご診断だった。

 フリーの編集ライターと、いちおうお称びしてはいるが、私はながしろさんのご職業を正確には存じあげない。学生時分から異能多芸のひとで、細き一筋道をこつこつと歩んで能事畢れりとなせる人材ではなかった。
 果せるかな、不惑の齢となった今、いくつの回路を維持して暮しを成り立たせているものやら、私には見当もつかない。
 「確定申告のときくらいしか、過ぐる一年、自分がなに業だったか、判らねえんじゃねえの?」
 驚嘆の思いをこめて、冷かしたことがある。応えは――
 「あなたがそれを、云いますか?」
 なるほど、一言もない。

 今どんな仕事してんのとは、訊ねぬようにしている。伺ったところで、私には理解できようはずもあるまい。また、興味関心の中心と稼ぎの中心とが、合致しているはずもあるまい。私もずっとさようであった。
 ともあれ私にとって、彼はパソコンに関するよろづ相談所である。
 「おぅ、上ってくれぃ。ご多忙中、毎度スンマセン。今ちょうど、メシ食ってたんだ、十分で了えてくるから、そろそろと眺めていてちょうだい」
 勝手知ったるゴミ館内の、わずかな足の踏み場を、もはや彼は左右の足順序も間違えずに歩ける。
 食事と洗い物をあたふたと了えて、十分もかゝらず台所から戻ってみると、画面は視たこともない画像となっていて、彼は涼しい顔をしている。

 トラブルの犯人は、やはり熱だった。機械に組込まれた自動制御システムが作動したのだという。三十五度を超える陽気のもとで、何時間も作業し続けるうちに、機械内部の温度は七十度にも八十度にも上昇する。このまゝでは機械に変調をきたすとなったさい、機械自身の独自判断で、機能を全停止するのだという。
 Web には触れず、機械とだけ交信する回路があるんだそうで、
 「なんでアンタ、動かないの?」と訊ねてみたそうだ。
 「安全領域を超える温度上昇。アタシ、自分で停まりました」との応え。
 「自分で修復再開するプログラムは、内蔵してあるの?」と訊ねると、「あります」との応え。それを発動したうえで、改めて全システム・チェック。

 「今、三十五パーセントまで来ました。もう少し、時間がかゝりますね。了えれば、動きだすでしょう。それでも動かぬ場合は大ごとですが、たぶん動きます」
 で、奥さまのお忙しさの噺。お嬢ちゃんの保育園への坂道の噺。そのほか。
 百パーセントに達したので再起動。メールソフト、FacebookTwitterMixiYouTubeはてなブログ、それにWord やドキュメント・デスクトップなどの基本記憶領域。私がパソコンと関わっている全領域に異状がない。

 まことに呆気ないものだった。おそらくは、ながしろさんにとって、保育園レベルのトラブルだったことだろう。ご多用のさなかにとんだはた迷惑、申しわけないことをしてしまった。が、基礎ができていないということは如何ともしがたいもので、当方は新台への買い替えまで、視野に入れていたのである。

B機、ゲーム機としての持場へ帰る。

 いったんは現役引退し、ゲーム機として余生を過していた老兵B機が、この数日急きょピンチヒッター。怖ろしく反応が緩慢ではあったが、貴重な働きを見せてくれた。無事役目を了えて、ゲーム機に戻った。
 さて、今回の教訓。熱暑陽気のぶり返しはまだあることだろう。対熱対策は不可欠だ。対抗装備についても、ながしろさんからいくらかのお知恵をいたゞいている。が、それは装備に目鼻がついてからの噺だ。