一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まだ見ぬかたの

タイアップ案件ではございません。

 じつに久かたぶりで、味噌を購入したとは、数日前に書いた。せっかく撮った写真は、パソコン不具合中のために使えなかった。


 あながちシミッタレでのみ申すのではない。味噌の日常消費量はきわめて少ない。いたゞきものがあったりすれば重宝に使い切るから、自分で購入する機会はめったにやってこない。
 加えて、世に数多ある味噌の多彩さの、ほんの一部なりとも味わってみることを、余生の愉しみのひとつにしようかと思いたったからには、この味噌を購入する機会は生涯二度と訪れないかもしれない。高価廉価とは関係なしに、俺にはコレだという、よくよく口に合う味噌と出逢ったりせぬかぎり、次回購入のさいには別商品に手を伸ばすこととなろう。自分の気性からして、そうなる気がする。
 となると、この銘柄、このパッケージデザイン、このロゴ、この図柄。すべて今生最後の対面であり、これきりの別れである。


 マッチについての〈自由研究〉をこのブログで報告したのは、昨年十二月の初頭だった。サミットストアー・ダイソー・ビッグエーで買込んだマッチを、価格・商品構成(何箱組)・一箱収納本数・不良本数率・一本あたり単価・各生産社所在地・各社沿革などを、比較考察したレポートだった。
 マッチの価格は、およそ二着火で一円との結論を得た。姫路市あたりの伝統的地場産業として維持され、今日ではウェットティッシュや紙ナプキンなど、台所およびテーブル雑貨の生産地として定着している状況も推測された。有意義であった。

 研究残滓の問題がひとつ残った。二十個近くも積まれた未使用のマッチ箱である。マッチ売りの爺さんの噺は聴いたことがない。腐るものでもなし、自分で一本々々、ありがたく使用してゆくほかない。
 そしてこの八月四日、ついに残り二箱を余すのみとなった。どなたにお解りいたゞきたいとの気持もないけれども、私一個には感慨無量のものがある。

 買ってきた味噌は、味噌壺に収めた。日本語慣習に則り「壺」と称してはいるが、むろん壺ではない。深底のタッパウェアである。
 長らく賞味させていたゞいた、到来物の高級味噌を、隅にへばりついたぶんまでスプーンでこそげ取る。壺を洗って干してから、「無添加 田舎みそ」を収め、スプーンの高級味噌を頂上に置いた。
 目下の思案は、この名残のワンスプーンを、いつ何に使おうかということである。

 吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ 西行