一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

暗号化


 タイアップ・ブランド商品というのだろうか、製造元は愛知県にあるニチレイの関連会社、販売元は東京千代田区にある帝国ホテル関連会社となっている。
 帝国ホテルのレストランで食事した経験がないから、ホテルそのまゝの味なのか、似て非なるものなのか、判りようはずもない。到来物だが、毎回たいそう美味しく、ありがたく賞味させていたゞいている。

 ところで、どなたさまがくださったものだろうか。光沢ある純白のボール箱に、すっきりさっぱり金文字でたゞ「帝国ホテル」とのみ。トレードマークとも云える視覚えある箱だ。包装紙もなく、添書きもない。徹底した過剰包装拒否状態で、アマゾンプライムの段ボール・パッケージから出てきた。
 お送りくださったかたからの送り状かメールでも舞込むかと、数日待ってみたが、いずこからも音信はない。段ボール・パッケージの表面には、私宛ての宛名シールが貼られてあるが、差出人名は明記されてない。

 いや、じつは明記されているのかもしれない。宛名シールの上半分には、私の住所と名前。下半分には、QR コードが四つ並んでいる。暗号化された差出人名だろうか。違うかもしれない。
 これも個人情報ナンチャラだろうか。時代も世間もご随意になさってくださってよろしいが、それを読み取るすべは、私にはない。

 だが礼状を書こうにも途方に暮れているかといえば、さようでもない。お贈りくださったかたには、おゝむね見当がついている。母方の叔父だ。
 母には三人の兄弟が、父には四人の兄姉妹があったが、配偶者まで含めても、今なお健在なのは、母の末弟たるこの叔父ご夫妻だけとなっている。系図上の距離で申せば、私にもっとも近い親戚ご夫妻ということになる。

 原子物理学者で、義叔母とも研究仲間として出逢った。若いころはご夫妻でのアメリカ暮しが長かった。
 研究対象や分野に、はやり廃りがあるのは、物理学も文学と変らぬらしく、叔父が生涯の研究課題を定めるころは、原子核研究が花形だったそうだが、電子技術・コンピュータへと流行が推移する時期にも当っていたそうだ。今年の下級生にエラク出来る奴が入ってきたそうだと、上級生や若手研究員のあいだで噂されるほどのことがあって、それがビル・ゲイツだったという噺を、聴いたことがある。

 研究職を退いてからは、埼玉のニュータウンと新潟の山荘とを往ったり来たりの暮しのようだが、私が時候挨拶のハガキを出しても、返事はメールで来る。
 二人の息子と一人の娘があるが、揃いも揃って手が着けられぬほど優秀だ。長男こそ研究職から理工系ビジネスマンへと路線変更したものの、次男と長女はあい変らず日米を往ったり来たりしているらしい。
 研究細目については、訊ねないことにしている。聴いても私に理解できるはずがないし、あまりの門外漢に一から説明するのでは、先方も手を焼くに相違ない。

 あの叔父なら、過剰包装徹底拒否もうなづける。ましてやそろそろ九十歳。意向を請けて息子かその嫁が手配代行したとすれば、アマゾンプライム差出人暗号化も、当然かもしれない。

 ともあれ当方は、山荘へと避難することなど思い浮べることすらできぬ、扇風機前での独り暮し。炊事手抜きの手助けとなる糧秣・栄養源は大助かりだ。
 叔父貴、ご馳走さまになります。