一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一時間

中央奥、半分建物の陰になって立っているのがアイツだ。

 湯殿で水をかぶるとき、窓を開けると網戸越しに、雑草としては背丈の高い草が、花を着けていた。観慣れぬ新顔だなと思っているうちに、花の先端が白っぽい穂の束となり、どうやらこれがやがて時がくると風に吹かれて、繁殖に飛んでゆくつもりらしい。

 梅雨の時期以降、私にとっては外出や運動を控えるべき日が多く、また珍しくもこの夏は、仕事をくださるかたがいく人かおられて、草むしりは放置につぐ放置となってきた。体調も気分も、整うことがなかった。ガスメーターの検針に来てくださるかたなどに、建物の裏手へ回っていたゞくにも、申しわけない光景となっている。
 ようやく涼しい朝を迎え、気分も乗って、地下足袋を履いた。弱虫の敵討ちと云うそうだ。恰好だけ一丁前である。サンダル履きで草むしりする場合もあるが、あまりにも草類が繁茂した状態では、なにが起るか判らない。足元を万全に作ってかゝる。

 一日の作業量は、正味三十分までと決めている。疲れが尾を引いたりして継続できなくなれば、結局は効率を損なってしまう。
 今朝はまず裏手を。ガスメーターのある側だ。案に相違せず、ドクダミ・シダ類・ヤブガラシほか蔓草類・セイタカアワダチソウまで、ご定連がたが覇を競うかのように繁茂しておられる。まずは両手で引抜けるかぎりを粗っぽく引抜きながら進む。小株までしらみつぶしに退治するのは、後日でもよろしい。まず一朝三坪と踏んでいた。


 ところがである。成果は二坪あまりに留まった。私のゆく手に立ちはだかったのは、湯殿から網戸越しに眺めた新顔のアヤツだ。一センチを超えて二センチにも及ぼうかという長い棘が、隙間なく茎を覆っていて、掴みかゝる場所がない。尖端は細く鋭く、きわめて痛い。そのくせ棘の根元は急に太くなって、茎にしっかり着いている。ノコギリの峰や剪定鋏でジャッとこそげ落せる程度のものではない。

 棘というものは葉が進化したものと聴くが、葉の先端も尖って、ほとんど棘状態だ。切れこみの深い葉型といゝ花型といゝ、オニアザミらしい。これが悪名高き外来種アメリオニアザミなのだろうか。だとすれば、容易ならぬ相手だ。迷惑な奴が拙宅へとやって来たものだ。

 末広がりに枝分かれする樹木のように、太い茎から分岐して広がっている茎の、それぞれの分岐点に剪定鋏を入れて、一本線の単純形にした茎を地に落した。束ねて紐掛けするか、丈夫な袋を探して詰めるか、それはあとの算段だ。
 地に散った茎々を拾い集めるのにさえ、骨を折った。棘は軍手など突き通してくる。おそらくは医療介護用の薄手ゴム手袋なども破って来るだろう。皮手袋か地下足袋の底みたいな厚手ゴム手袋が必要になる。いずれにせよ別処理となろうから、オニアザミの茎だけ、ほかの刈草の山とは分けた。まことに面倒な奴だ。
 時間だ。今日は枝状に分岐した茎を落すところまで。中心の茎と根っこの処置は、明日以降である。

およそ三十分後。

 T シャツとトレパンと軍手と、頭に被っていたタオルとを干す。手と剪定鋏の刃を洗う。片脚十個あるコハゼを外して脛丈の地下足袋を脱ぐ。正味三十分作業とはいえ、なんだかだで一時間仕事となってしまった。