一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

あの台詞

小津安二郎監督『秋日和』(松竹、1960)。

 小津安二郎映画のなかでも、『秋日和』と『小早川家の秋』は、私にとって格別だ。司葉子さんが東宝から招かれて、出演しているからだ。ほかに理由はない。

 娘の縁談に心を砕く父親の心境となれば、いく本もの傑作がある。父親とは長年にわたる親友同士の三島雅夫が驚くべき濃厚な味を出した『晩春』や、同じく父親の親友である中村伸郎が素晴しい『秋刀魚の味』など忘れられない。ついでながら『秋日和』でも、中村伸郎は凄い。
 父と息子の関係となれば、戦時中の作品に『父ありき』がある。笠智衆佐野周二の父子だった。
 だが夫に先立たれた妻と一人娘との、濃密で細やかな母娘心理を描いて、『秋日和』は特別な作品となっている。

 年頃の娘司葉子には、結婚願望がない。母原節子を独り残して嫁ぐことなど思いもよらないからだ。その気持を察した亡き父の悪友たち佐分利信中村伸郎が、まず母親の再婚を画策する。手順に抜かりがあって、若干の混乱が生じてしまう。
 自分に内緒で再婚を考えているらしい母を、娘は面罵する。良き父だった亡父への不潔な裏切りだと。だがじつは、再婚話など母の耳には届いていなかったのだ。のちに悪友たちの画策と知った母は、娘の手前、再婚話を受ける振りをする。
 いっぽう娘に舞込んだ縁談の相手佐田啓二は、聡明でさっぱりした画に描いたような好青年で、「お母さんと喧嘩しちゃあ、いけないなあ」と諄々と娘を諭す。娘も冷静に納得する想いになってゆき、相手への信頼感も増してゆく。
 カウンターに隣り合いながら、佐田啓二の言葉に耳を傾けつつラーメンをすゝる司葉子の、その顎の線の美しさといったら、そりゃあもう……。

 生涯最後となるかもしれぬ思い出旅行として、母と娘はふたりして日光へ。亡夫=亡父の兄笠智衆が経営する、男体山に手が届きそうな絶景の旅館で一泊。翌日、湖畔の食堂に差向いで、茹で小豆を食べる場面。女同士の和解と理解と訣別。なるほど、茹で小豆かぁ~。庶民的でありながら、想像を超えた、途方もなく高雅な小道具ではないか。

司 葉子(1934‐ )、『秋日和』から。

 母は娘に、亡夫がいかに佳き夫であり、佳き父であったかを語る。かといって娘も自分も、まだこれからの人生を果敢に生きてゆかねばならぬと励ます。
 自分の前に置かれていた茹で小豆の椀を、原節子はなにげないようにスッと脇へ移す。そして云う。
 「こゝで茹で小豆食べたこと、いつまでも憶えてるわ」
 それまでも大切なことを口にしてきたのである。佳いお父さんだった、幸せになってよ、お母さんだってこれからだ、と。だがさらにこれだけはと、格別な意を決した気分で、椀を移したのだ。そしてこのひと言が出た。
 里見弴の原作にあるのか、脚色段階で野田高梧小津安二郎が考えついたのか。たいした台詞だ。いや、こういうのを「台詞」という。

 あゝいう台詞が書ければなぁと、いつもの缶のプルを引っぱりながら、思った。
 もっとも私は、東宝だろうが松竹だろうが、青春ものだろうが社長シリーズだろうが、時代劇だろうが喜劇だろうが、司葉子さんがスクリーンに映ってさえいれば、機嫌悪くないのではあるが。