一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

土地



 玄関番として働くネズミモチ。春刈りしていらい、夏のあいだ放置していた。

 道路を挟んだ筋向うの音澤さんの敷地に立つ、お二階の屋根ほどにも育ったネズミモチの大樹が、近隣を往来する小鳥たちのハブ樹木の働きをしている件は、以前に書いた。東西南北に向って翔び交す鳥たちの中継地であり、休憩所であり、おそらくは挨拶や情報交換や会議の場所にもなっている。
 その樹が今、枝先にたわわなる実を着けている。ということは、まだ未熟で、鳥たちにとっては食べごろではないのだろう。ヨシッ、今日から食べごろという日が訪れるや、鳥たちが視逃すはずがない。ある朝いっせいにやって来て、一日二日で食べ尽してしまう。

 主役はおそらくヒヨドリだ。ムクドリが混じるかもしれない。現場をつぶさに観察できたためしがない。なにしろ人間の鈍感きわまる感性をもってしては、予知も予感もできようはずのない、玄妙かつ崇高な世界のできごとだ。
 昨日までたわわに着いていた実が、ある朝ファミマまでタバコを買いに行きしな気づくと、半分ほどになってしまっている。一両日のうちに、実はいったん姿を消す。枝元のまだ未熟な実だけが残される。いく日かして、それらも姿を消す。
 そこまでは、この眼に観たことはなくとも、想像するだにめでたい光景といえる。だが問題はその先だ。その日のうちか翌日かは知らぬが、鳥たちは翔び行きし先で排泄をする。そこからが、人間世界との関りの発生である。

 拙宅敷地内の狭苦しい空間にも、立木が一本と切株が五個、計六体のネズミモチがいる。西側の切株二個は、隣接するコイン駐車場との塀ぎわにある。かつて目隠しにちょうど好いなどと甘く考えているうちに育ち過ぎて、二階の窓から手が届くまでになってしまった。枝が塀越しに張りだして、駐車場の経営会社からクレームが来た。いく年かは枝刈りでしのいだが、ある年決断して、伐り倒した。
 北側にも切株二個。うち一個はやはり放置が過ぎ、手を焼くようになってから、伐り倒した。北側のもう一個と東側の一個は、前例に凝りて幼木のうちに伐り倒したから、切株も小さい。
 切株は容易には絶命せず、ひこばえのごとき新芽を脇から吹き出してくる。視逃さず剪定鋏で伐りながら、少しづつ根っこを退治してきた。十年以上にわたる気長な取組みを続けてきている。
 たゞひと株、南東の隅すなわち玄関脇に芽吹いたものだけ、玄関番を申しつけて、伐り倒さずに置いてある。

手前が新山、奥が合体旧山。

 玄関番の枝先を詰め、枝すきもして、根元の草むしりもするとなると、刈草の山をもうひとつ作ることになる。あたり山だらけも見苦しい。
 一昨日ふたつできた山が目算どおりに、かなり小さくなっている。陽当り風通しがよろしい場所のため、刈草の脱水が速いのだ。地下足袋で踏んづけて歩くと、嵩は見掛け半分以下となる。しおれて乾き始めた茎や蔓が絡まりあって、まるでひと張りの蚊帳でも運ぶかのように、ひと抱えにして容易に運べた。一昨日のふた山は重なって、ひと山となった。

 あとは剪定と、下草むしりである。樹高が高くなり過ぎぬように、徒長枝を詰める。病害虫の巣窟とならぬよう、枝ぶりの内側まで風が通る程度にしてやる。
 軽作業だが、時間を食う。モチの樹一本と根元まわりの下草むしりだけで、作業時間一杯となってしまった。

本日の四十五分作業。

 こんな調子でノロノロ進行していては、道路に面したサクラやカリンの下草まで到達するのに、あといく日かゝることだろうか。ひと巡りしたころには、最初の地域に次の世代の草ぐさが生えてくるのではあるまいかとの、懸念が生じる。
 刈草をゴミ袋に詰めて出してしまえば、効率は上る。刈草の種類によっては、さようにすることもある。が、地に害のない草ぐさが主であるうちは、枯らして地に埋戻すほうがよろしかろう。

 この町のメインロードは、もとは川だった。今も地中に暗渠が通っている。こゝいら一帯はいわば河川敷で、ゆるい傾斜地だった。盛り土整地して宅地造成した地域だ。そのときの土がよろしくなかった。今でも少し深く掘ろうとでもしようものなら、スコップの先が小石にガキッと当る。
 防災耐震の都市再開発構想の一環として、道路拡幅計画だとかで、やがては東京都から召上げられる土地となっている。いつまで住んでいられるものやら覚束ない。
 だがこの土地は、つねに控えめで防御的な人生観の持主だった父が、生涯たった一度の大決断をくだして、大借金をして移ってきた土地だ。子ども心に、私はそのことを記憶している。