一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

かき氷


 『Nile’s NILE ナイルスナイル』9月号をご恵贈いたゞいた。

 全頁カラー写真と文とからなる、紙も刷りもよく吟味された、上品かつ豪華な雑誌だ。広告だって、私の暮しに関係ありそうなスポンサーなんか一社も見当らない。
 年収ン千ン百万以上のかたから定期購読会員を募ってお届けしているという。そういう雑誌があることを、この齢まで知らなかった。国際級ホテルのヴィップルームや国際線のファーストクラスでは、こういうものも眼にできるのだろうか。伺わなかったけれども。
 かつて私のゼミ学生だった女性編集者が同誌編集部に在籍しているという、たまさかのことがなければ、生涯知るはずもなかった雑誌である。

 今号の特集がなんと「かき氷」だという。功成り名を遂げたかたにも、社会の第一線でご活躍中のかたにも、胸の奥には、小さな甘酸っぱい記憶が眠っているはずだという点に着眼した企画だ。オーソン・ウェルズ市民ケーン』の「バラのつぼみ」である。
 かき氷について、独自の思い出はないか、耳寄りな噺はないか、との趣旨で取材を受けた。例のごとく、あっちへ飛びこっちへ跳ねの放談をして、あとはインタビュアー兼ライターさんが、大半を削り落とし、使えそうな断片を拾って、上手にまとめてくださった。

 まず貧乏家庭の悪ガキにとって、かき氷はちょいとお洒落なおやつで、頻繁には口にできなかった。
 またスタートは氷イチゴで、レモン、メロン、小豆とステップアップしてゆき、ついにはイチゴへ還る。現在だってイチゴ大福を皮切りに、バナナ、ブドウ、ウメ、スモモといかに変遷しようとも、あげくはイチゴへ還る。この道のりに示される普遍真理はなへんにありや。イチゴとは人間にとってなんぞや。
 むろんライターさんのお手で、それらは削除された。
 

同誌より無断で切取らせていたゞきました。(撮影:関さとる)

 『枕草子』に、お洒落で上品なもののひとつとして「けづり氷(ひ)に甘づらかけて」と、かき氷の原型みたいなものが登場するとは、昔ずいぶん講義脱線のネタに使った。これこそわが国の文献に最初に登場したかき氷ではないかと。が、用心して「私の知る限りでは」と必ず申し添えるのをつねとした。たしかにそれ以前の『伊勢物語』にも『土佐日記』にも、氷を食す場面はない。私がみずから確めたのは、せいぜいその程度にすぎない。
 しかしウィキペディアには、『枕草子』が最初の言及と、断定されてある。ウィキさん、大丈夫なのだろうか。

 『風姿花伝』俗に花伝書は、若き世阿弥の手になるもので、舞の名手だったろう親父観阿弥の教えを踏襲伝達したものだ。世阿弥自身の苦渋の果ての横顔は、むしろ晩年の指南書に窺える。弟子との問答に、こんな一節がある。
 「先生、能の寂びた美とは、どういうものですか?」
 「冷えた美だな」
 「では、冷えた美とは、どういう美ですか?」
 「う~む、冷え寂びた美だな」
 「では、冷え寂びた美とは、どういうものでしょうか?」
 応えに窮した世阿弥は、言語的形容を諦めて、形状比喩に切換える。
 「降ったばかりの新雪を、銀の椀に盛って、そぉーっと差出したようなもんさ」

 これを読んだとき、はゝーん、世阿弥は『枕草子』のアレを読んだなと、私はニンマリしたものだった。
 とはいえこれを学問とするには、書肆はおろか富裕町人の蔵書家など影も形もなかった時代のこととて、当時どちらのお公家さんや殿様やお寺さんが写本を所持していて、世阿弥が一見に及びえた可能性ありやなしやと、たいへんな考証が不可欠となる。私はごめんだ。
 ところが放談のこの部分を、ライターさんは採ってゆかれた。むろん異存はないし、逃げ隠れもしないけれども。

 さぁて、中古研究や中世研究の連中から、一朴洞がまたデタラメをほざいていると、お叱りが舞込むだろうか。口うるさいいく人かの顔までが、浮んでくる。
 しかし、と思い直した。見つかりっこない。ン千ン百万の年収があるものなんて、彼らのなかにあるわけがない。いさゝか愁眉を開いた。