一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ハヤシライス


 どうせ横浜のホテルの林料理長か、馬車道あたりの林シェフが、外国人さん向けに考案したものだろうと思いこんでいた。ハッシュドビーフなんぞという単語を知るまでは。

 幼少期、親に手を曳かれて外出。百貨店の大食堂で食事をすることが、年に数回の晴の日だった。最初はお子様ランチ。これはすぐ卒業した。チキンライスに立つ日の丸に興味が失せてしまえば、あとはどうってことのないものだ。カツライスやカツ丼は、なぜか子どもが注文してはいけないものだった。ラーメン(シナソバか中華ソバと称んだ気がする)は百貨店大食堂で食べるものではなかった。で、カレーライスの時期が長く続いたと思う。
 あるとき気紛れから、色ちがいのハヤシライスを所望してみて、その味と出逢ったさいの衝撃には、たゞならぬものがあった。生れて初めての味だった。たゞし注文した回数はさほど多くない。家族の晴の食事会が百貨店大食堂だった時代が、過ぎようとしていた。親に手を曳かれて外出するという年齢も、過ぎようとしていた。ハヤシライスの味と色だけが、鮮烈に身に残った。

 今でも、ハヤシライスは好きだ。が、さほど頻繁には食べない。カレーライスの三分の一以下だろう。若き日には「男の台所」と称して、とかくむやみに手間も時間もかゝる作業を、面白半分にやりがちなもので、ご多分に漏れず私もカレーには挑戦してみたが、デミグラスソースを作るということは、したことがない。
 今現在は、あらゆる節約と手抜きの台所だから、カレー・ハヤシは当然チルド食品である。その頻度は、カレー4 にハヤシ1 程度のものと思われる。
 だったらべつに、ハヤシライス好きと称するにも当らぬではないかという頻度だが、みずから意識するところでは、ハヤシライス好きである。たゞしデミグラスソース味というものは、飽きが早い。続けて食べる気になれない。「たまに」が好いのである。

 およそ月二回、飯を炊く。五合炊き釜に三合半くらい。いゝ加減の目分量だ。無洗米という考えかたは信用しない。研いだら猪口一杯の酒、切昆布適当に。小一時間馴染ませてからスイッチ。
 蒸らしたのち、杓子で返す。昆布が均等には混ざらぬが、気にしない。すでにエキスは飯中に出ている。小分けオニギリにしてラップするが、十二食から十四食分採れる。炊く量が適当だし、オニギリの巨きさもその日の気分によって一定ではなかろうから、誤差は避けられない。コンビニオニギリの小さいほうより、さらにやゝ小さいくらい。これで丼に一膳の粥飯となる。すなわち、わが一食分だ。冷凍庫ゆき。
 前回炊飯から半月をだいぶ超える日数が経っている。この夏、いかに麺類その他のお世話になったかの証左だ。みずから贖ったぶんもあるが、加えて到来物豊富。大助かりだった。改めて感謝の念。
 粥飯には毎回一個宛のオニギリを、カレーライス・ハヤシライスの場合には二個解凍する。むろんチルド食品のお世話になる。

 猛暑の一時期、階上の台所は階下の居間よりもはるかに暑い。エアコン不使用の拙宅にあっては、なかなかの難所で、足踏みいれるのも億劫だ。
 加えてこの夏は、けっこう仕事させていたゞいた。怠け者の節句働きと申すべきか。デスク前から動きたくない日も多かった。
 億劫と時間節約とから、ファミマでハヤシライスを買ってみた。初めての挑戦だ。せめて電子レンジくらいは自前で使おうと考えて、レジでの「温めますか」はご辞退した。別にある興味もあって。

 興味というか懸念は、的中した。下層の丼部分に白飯が収められ、上皿にハヤシが乗っているのだが、商品形態のまゝ短時間チンすると、ハヤシだけが温まって、白飯にまで熱が通らない。上皿を取外して、下層部分だけをもう一度電子レンジに入れた。
 それで納得がいった。親子丼だの麻婆丼を買ったことも過去にはあって、温めてくださいとレジで依頼した経験もある。受取ろうとすると、熱チッチというくらい温めてくださった。幕の内弁当や明太海苔弁のさいには、そんなことないのに。つまり重層丼構造の商品にあっては、下層の白飯にまで熱を通すには、上層の具を熱し過ぎるまでに温めねばならぬと、店員さんがたは承知しておられたのだ。
 家庭にあっては、商品姿のまゝチンするのではなく、包装を解いて層別に分けてから温めるのが正解である。
 少し頭を巡らせてみれば、しごく当然だ。当然なのに、こんな簡単なことも、みずからやってみなければ納得できない。これも耄碌のひとつだろうか。

 ファミマ・ハヤシライスの印象。黒い! じつに黒い。味は悪くない。が、しょっちゅう食べたいとまでは思わない。「たまには」でけっこうだ。わが冷凍オニギリ二個にチルドハヤシで、私には十分である。