一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ありがたい


 ブロック塀一枚を隔てて、往来に面している部分である。側面に木戸口があり、覗く気になれればどなたにも覗ける場所だ。そんな所も、日ごろは手入れを怠ったまゝにしてある。

 サクラの老樹が、道路がわに身を乗出している。花時には、歩を停めて観上げてくださるかたもある。写真を撮ってゆかれるかたもある。その代り晩秋から初冬ににかけて、魂消るほど大量の落葉が降る。風に吹かれて落葉はサワサワと移動する。向う三軒両隣どころか、その先のお宅のご門前まで汚す。恐縮してお詫び申しあげると、なぁに、愉しませていたゞいているのですからと、どなたもが笑顔でご寛恕くださる。ご内心は計りがたいと思いつゝも、お言葉に甘えてきた。ありがたい。

 年に一度、植木職の親方に入っていたゞき、徒長枝を詰めていたゞいている。古来「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」と云われ、サクラの剪定は素人の手には負えない。
 ウメは節なり枝先なりから、いく本もの徒長枝がツンツンと天を突いて出てくるので、放っておくと樹形が滅茶苦茶になってしまう。一本を残して、または一本も残さずに、詰めてしまわねばならない。
 そこへゆくとサクラは、素人が面白半分に伐ってしまうと、伐り口から腐蝕がきて樹を傷めたり、下手をすると命にかゝわることすらあるそうだ。

 京都御所の桜林の枝はどれも、地を這うように延々と横に伸びていた。放っておけば自重で地に着いてしまうところを、丸太を丁字形に組んだ支柱でもって、ひと枝ひと枝を支えていた。こうまでして伐らぬものかと、感じ入ったものだった。

 親方に入っていたゞきやすいように、ひこばえや下草の始末くらいは私が済ませておくべきなのに、たいていの年は、なにもせぬまゝ丸投げでお願いしてしまう。素人仕事の草むしりまで、親方のお手を煩わせてしまうわけだ。恐縮してお詫び申しあげると、なぁに、それも仕事なんで、どうか私の仕事を奪わんでくださいと、満面の笑みを返してくださる。ありがたい。
 無事に花が了った初夏のころ、親方に入っていたゞいたまゝだったから、丸四か月以上放置してあったことになる。老木の根方からも、半分ウロになりかけた昔の伐り口からも、たくましくひこばえが伸び出てきている。それを足がかりにしてヤブガラシをはじめとする蔓植物たちが、覇を競う様相を見せている。ことごとく処理だ。
 塀を越すに頃合いの高さから出たひこばえは、往来に枝を張り出している。上空から往来へ張り出す枝は鑑賞の対象となりうるが、手の届くひこばえは、迷惑のもとかイタズラの標的にしかならない。すべて処理だ。

 サクラの西隣にはカリンの樹が一本立っている。なんでも試してみたがる気性だった母が、梅酒だけでは飽き足らず、あれこれと果実酒に凝った時期があって、家じゅうあちこちに広口瓶がごろごろしていた。ある年カリンを漬けた残りの種子を、興味本位から埋めてみたら芽を吹いたものだ。初めはカリンとは気づかず、またカリンの種子をこゝに埋めたことすら憶えていなかったかもしれぬ母が、これがカリンの幼木と知ったときの悦びようは、尋常ではなかった。さて私はそのとき、小学生だったろうか、中学に上っていたか。いずれにせよ、五十年をゆうに超す昔のことである。ありがたい。

 年により豊作不作の差はあるものゝ、今でも毎年実を着ける。完熟して落果するとすぐさま虫が入ったり、蟻の餌食となったりするので、完熟まえに竹竿かなにか武器を携えて、密かに実を落しに来られるかたが、ある時期まではあった。そんなことなさらずとも、ひと声掛けてくだされば、優先的に差上げたのに。
 だがこの十年来、そうしたかたをお見受けしない。お若いかたのなかには、なんの実だか、どう活用できるのかご存じなく、興味すらお持ちでないかたも、多いのではないだろうか。高級スーパーやフルーツショップに並ぶ、外国産の高価フルーツや国内産ブランド・フルーツについては、きっとたくさんのことをご存じなのにちがいない。

 さらに西隣の塀に近い窮屈な場所には、マンリョウがひと株立っている。来歴については与り知らない。鳥の消化器官を経由して、いずこかから運ばれてきて、この場所に着地し、芽を吹いたものだろう。おそらくヒヨドリの仕業だ。
 頑固な根を張る種類でもないから、除去することもできなくはないが、完熟すると実が真赤になって、正月飾りにもされる縁起物だから、放置してある。世話も焼かない代りに、自力で育つぶんには邪魔しないつもりだ。
 今日段階ではまだ実が濃い緑色で、鳥たちの眼を惹く色でも姿でもない。空気が冷えてきて、実が熟するころにでもなれば、鳥たちが放ってはおかないだろう。なにやらありがたい気がする。

 サクラもカリンもマンリョウも、じつは先の知れた命だ。この場所は、防災耐震都市改造計画だとかで、道路拡幅用地に指定されている。やがては東京都から召上げられる土地である。

 作業を了えて、木戸口へと廻る。覗く気になればどなたでもが覗ける場所に立って、本日のビフォー・アフター。これなら人が住んでいる場所と、思っていたゞけようか。
 どうせ為政者に召上げられるのであれば、ぎりぎり直前までちゃーんと人が住んでいた土地として、明渡したいものと念じているのである。
 ちょいと長引いた。本日は八十分作業。