一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

秋野菜


 秋野菜。そして名残の夏野菜だ。

 季節ごとに、手づからご丹精の野菜をお贈りくださる、旧い学友の大北君から、今年もカボチャとじゃが芋とモロヘイヤが届いた。
 私は一年をとおして、カボチャもじゃが芋も、いくらあっても困らぬ男である。たいへんにありがたい。

 モロヘイヤは季語になっているかどうかは知らぬが、夏野菜とのイメージが私にはある。冬はホウレン草、夏はモロヘイヤと、単純に認識している。
 独特のぬめりが特色で、味噌汁の実にすると、ナメコ汁やモズク汁のように、味だけでなくぬめりの喉越しを愉しめることになる。が、ソノママ感を愉しむにはお浸しにかぎると思ってきた。で、いたゞいたすべてを湯通しして、一回使用量見当づつに小分けラップして、冷凍庫に収めた。

 と、大北君からメール。玉ねぎなどと合せて、コンソメ風スープにすると絶品とのご教示だ。さては奥さまのお得意料理か。なるほど、好さそうだ。
 コンソメの素だの鶏ガラスープの素だのを、手元に備えなくなって十年以上になる。ひと頃さんざん使い倒した揚句に、つまりは鰹出汁と昆布出汁で俺には足りると、決断して手放したのだった。味の断捨離だ。かといって醤油ベースの和風吸物にしてしまっては、予想どおりの味になってしまう。
 そうだっ、と思い出した。お向うの粉川さんからなにかのおりの手土産だといって、インスタント珈琲をいたゞいたことがあって、どういうわけかその付録として、玉ねぎスープという小袋入りの粉末をいたゞいたまゝになっていた。あれを使ってみるか。
 ぬめりを損なってはならぬと、ゆっくり解凍して、粉末玉ねぎスープなるものを使い、ほんの少々味を足してみたところ、これが大成功。スープという感じではなく、満足のゆく吸物となった。ぬめりもおゝいに働いた。

 大北君からのメールによると、カボチャは収穫後ひと月たっぷり寝かせたので、甘くなっているはずとあった。云われる前に、もう味見しているわい。
 老人向き安全基本惣菜として、年がら年じゅう煮物・炊き物をするが、真夏の一時期だけは中断する。いくら冷蔵庫に収めても、なぜか足が速い。消費期限が短くなる。さて涼しくなってきたし、そろそろなにか煮るか炊くかと考え始めた矢先だったので、渡りに船である。

 この巨きさのカボチャだと、八百屋では 1/3 カットで売っている。私の包丁では 1/3 はおぼつかないから、半カットに。それを二分さらに二分。三日月型となった四片を 1/3 にして、〆て半個を十二カットで炊く。
 砂糖と生姜と出汁によるいつもの炊きかたに、ちょいと欲を出して、とろろ昆布をふた摘み入れた。これはかなりの冒険だ。汁が少なくなって、煮詰まり炊き上るころに、とろろ昆布が溶けて焦げついたようになり、チョコレート色となる。黒砂糖でも使ったかと思われそうだ。
 仕上りも黒ずむ。見映えはよろしくない。が、香ばしさが出て、自分独りで食うには美味い。そしてこゝが冒険なのだが、「焦げついたように」ではなく本当に焦げついてしまうこともある。アッという間のできごとで、かなり微妙なタイミングだ。
 つまりこの美味さは、焦がした美味さなのだと思われる。久びさにやってみた。丸ごと一個のカボチャをいたゞいて、たとえ失敗してももう半分があるという裕福感から、こんなことも試せる。
 なんとちっぽけな……。だがこれでも、物持てるがゆえの、心のゼイタクである。