一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

かくれもない


 「ひさご」の女将おチカさんが珍しく記者クラブを訪問している。どういう場面だったのだろうか。

 昨日の続き、NHK 初期のテレビドラマ『事件記者』の一場面である。共有スペースである応接セットに呉越同舟寄合っての談笑。坪内美子さんもご一同も笑顔だ。左端が日報のベーさん、右端がタイムスのアラさんだ。まん中でタイムスのキャップであるクマさんが煙草をくゆらせている。
 背景の右寄りが日日のブースだ。なにかと口うるさいキャップである日日のウラさんは留守のようだ。左寄りがタイムスのブースで、主役級が勢揃いする日報のブースはさらに左へ入ったところにある。


 おチカさんが記者クラブを訪ねても、意外ではない。つね日ごろのご定連客がたの職場へ、ご挨拶の機会があってもおかしくはない。それに日報のエース記者イナちゃんの奥さんは、どうやらおチカさんの娘だ。つまりおチカさんは、東京日報の一記者の義母でもある。連絡事項が発生することだってあっただろう。
 かといって娘婿さんの職場に私事を持込むような女将ではない。この場所に彼女の姿があるのは、ほんとうに珍しいことだ。

『与太者と小町娘』(監督 野村浩将、松竹蒲田、1935)

 さかんに樹を伐り倒しては、トロッコや馬で運び出す林業の現場が、『与太者と小町娘』の舞台だ。サイレント映画で、重要台詞だけ黒ベタに白抜きの字幕画面が挿入される。
 A 山の人足を束ねる親方の一人娘が坪内美子さんだ。隣の B 山は別の組の持場で、いかにも悪漢面した巨漢の親方が仕切っている。その親方が坪内さんに懸想していて、繰返ししつこく言寄り、A 組へも圧力をかけてくる。むろん坪内さんは、B 組の親方なんぞ顔を視るさえ虫酸が走る。そこで A 組人足のデコボコ三人組が、お嬢さんを護るために、てんやわんやの大活躍。
 トロッコでの疾走場面の音楽は有名な「天国と地獄」、二枚目を視詰めるお嬢さんのアップには哀切なバラード。まんま、チャップリン様式である。

『新女性問答』(監督 佐々木康、松竹大船、1939)

 『新女性問答』は今日から観れば、気恥かしくなるほどの女優さんがたてんこ盛リ映画だ。女学校の仲良し七人組の一人が(桑野通子、なんと桑野みゆきのお母さん)じつは親に先立たれて、芸者稼業の姉に育てられたが、仲間には隠している。潔癖な女学生たちは、芸者と聴いただけで軽蔑するような世間知らずなのだ。あるとき事情がバレて、友情に亀裂が入る。苦労してきた姉の朋輩芸者が坪内美子さんである。
 ―― こゝはあなたがたの来るところではありません。あなたがたが軽蔑する、芸者のいるところですよっ。(キリッ!)

 東京文京区のお生れ。銀座の有名カフェの女給さんだったところをスカウトされて松竹入り。サイレント映画の時代である。デビューの昭和八年には六本、翌九年には十三本の映画に出演している。世は左翼壊滅の大転向時代。深刻に失望して行き暮れた青年たちは、いかなる想いを抱いて、この女優さんを眺めたのだったろうか。
 トーキー映画への移行時代でもある。鼻が詰ったようというのとは違う、鼻のずっと奥のほうで特別な鈴が鳴っているような、独特なお声で、坪内さんの台詞は眼をつぶっていても聴き分けられる。
 清純な町娘から、若奥さん、芸者、女丈夫やちょいと悪女まで、なんでもこなせる達者な女優さんで、やがて松竹の幹部女優の一人に昇進した。
 「ひさご」のおチカさんの、かくれもない前歴である。

田中絹代(左)と坪内美子、『人生のお荷物』(監督 五所平之助、松竹、1935)

 同時期に活躍した松竹女優では、田中絹代さんのお名が後年まで轟くことになる。が、坪内美子さんも引けを取らぬ双璧の存在だ。
 『人生のお荷物』では、性格がまったく正反対の長女と次女として共演した。医者の妻で焼きもち焼きで、取るに足らぬ夫婦喧嘩をしてはすぐ仲直りする、無邪気で可愛らしい長女が坪内さん。洋画家の妻で、サバサバとなんでも要領よく取りさばくモダンな次女が田中さん。面白かった。