一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

名残の彼岸


 彼岸の入りも中日も、空模様が……。尻込みしてしまった。

 台風一過の秋晴れ。墓参り日とする。さてご本尊へのお供えは、いかにしたものだろうか。悪天候を押してでも、墓掃除に出向き、お詣りを済ませた律儀な檀家衆も少なくなかろう。すでにご本尊の前には、選りすぐられた和菓子の化粧箱が、うず高く積みあがっているにちがいない。
 彼岸の入りに先頭切ってお詣りするのであれば、まずは皮切りの縁起ということもあろうから、例年の菓子折りをお供えするもよかろう。が、中日を過ぎた、いわば出遅れ参詣の身となれば、少々気が差す。

 栃木市の古刹の娘さんが、わが教室の一員だった時期があった。盆暮れや春秋お彼岸には、必死で甘いものを食し、決死の覚悟で太ったものだったと、笑いながら話してくれた。にわかには笑えぬ噺だと、私は聴いたものだった。
 かく申す私も、それまで菓子折りをお供えすることが多かった。が、以後は考え込むようになった。菓子以外で、なるべく日持ちのするものをと、工夫するようになった。仏さまは好き嫌いをおっしゃらない。時には四つ足や魚介(つまり殺生したもの)だって拒まずに召上る。文献を調べもせず、さよう独断した。ご住職や宗教学者から叱られたら、その時また考えることにする。

 奈良県には、こども食堂や老人介護施設や、災害時の避難所やホームレスへの炊き出しなどを、お寺さんと結び付けて食糧の有効利用を図るネットワーク活動があって、NPO 法人化されているという。たまたま私が耳にしたのが奈良県の例で、じつは全国にかようなネットワークが張り巡らされてあるのだろうか。私が無知なだけだろうか。ありがたい取組みと思う。

 まず花長さんへ。おかみさんとお嬢さんが書入れどきだった。大将のお姿が見えない。小さなお店だ。全員総出も手が混むから、シフトを敷いて交代なさるのだろう。
 金剛院さまへ向う。水場はすでに混雑したあとらしく、水桶が出払っている。まだ午前中というのに、この賑わい。私と同様に、中日過ぎての墓参にお気が差されて、早朝からどっとお出ましになられたのだろうか。たった一つ残った桶に買ったばかりの花を挿し、確保する。やがて奥から追加の桶が補充追加されることだろうが、まずは自分優先で一段落だ。
 庫裡にてご挨拶。ご本尊へのお供えをお願いし、線香をお分けいたゞく。

 どなたさまがお詣りくださったのだろうか。拙家墓前に線香が供えられ、すでに煙を揚げている。長さから察するに、つい今しがた焚かれたばかりと見える。周辺にそれらしい存じよりのお姿も見えぬが。花も上っていない殺風景な拙家の墓を、どう思われたことだろうか。
 数日来の風雨でホコリ汚れしている墓石と台座と花差しとを、ごく粗雑に洗ってから、花を供え、私の線香を足した。改めて墓石に水をかけ、向う三軒両隣の墓前にも水撒きして清める。花長さんで見つくろっていたゞいた本日の花束には、桔梗が含まれていた。母がもっとも好んだ濃紫である。

 父母が生前ご縁あったかたや存じあげたかたのご墓所をひととおり巡り、柄杓に一杯づつ水を差して歩く。どちらさまにもすでに花が上っていて、いかに私が出遅れたかが改めて知れる。
 無縁仏が合葬されている観音さまへも、水を供える。私の終着点となろうから、予約根回しの想いだ。

 昼下りへ向けて、まだまだ墓参者は増えることだろう。水桶をさっさと水場へお返しし、身軽になってから、本殿へお詣り。光明真言を三度唱える。
 府内霊場八十八か所のうち第七十六番札所となっている大師堂へもお詣り。観音さまの前も、当山中興の祖の石碑前にも咲いていた赤花の彼岸花が、大師堂前にも咲いていた。
 大師さま銅像を囲むミニ四国をも一巡。各国に光明真言を唱え捧げて、本年の出遅れ彼岸会を了える。