一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

リベンジ


 昨年尻込み断念した件を、今年達成した。

 池袋から JR 山手線に乗換えて、日暮里まで赴くのは、一年ぶりだ。今の私には遠出である。この一年に、大塚までは二度行った。新宿へは三度か四度行った。
 もっとも遠方はといえば、旧友の葬儀に参列すべく、菊川・森下つまり川向う本所まで、一度だけ行った。これは地下鉄利用だから、ゴウゴウと鳴る音に身を任せながら、文庫本を読んでいるうちに着いた。地上の景色を眼にしながら電車に揺られたわけではない。
 ふだんはせいぜい地元の私鉄で、池袋・江古田間を往ったり来たりするだけだ。わずか三駅間で暮している。

 一年前の日暮里行きは、谷中霊園へと赴いて広津和郎墓所へお詣りしようかと思い立ったからだった。九月二十一日がご命日である。久びさだから、谷中から千駄木あたりをぶらついて、懐かしい店を冷かして歩こうかと、気楽に考えて出掛けたのだった。
 ところが案に相違して、引籠り生活による体力の減退は著しく、霊園内に数多ある有名人のご墓所などを巡っているうちに、すっかりくたびれてしまった。たしか残暑の日でもあった。正直に躰と相談。夕方の帰宅ラッシュアワーの電車に乗合せる度胸も勇気もないから、街散歩は諦めた。明るいうちに尻尾を巻いて、さっさと帰ってきてしまったのだった。地元駅へ帰り着いて、駅前のロッテリアに腰を落ちつけて、妙に安心したことを憶えている。

 今年も目的は同じだ。たゞし台風余波の空模様に尻込みして、広津ご命日から数日ずれてしまったけれども。
 昨年の教訓から、霊園内のいたずらな有名人詣では控えた。どうしても寄ってみたい点と点だけを、最短線分で結ぶように歩いてから、街へ出た。
 ご縁やら思い出やらある店が今も存続しているかと確かめ、冷かして歩くだけなら、次の機会送りにしたところでさほど残念でもない。じつは買物をしたかったものがひとつだけあった。それを断念したことが、昨年の心残りだった。

 アップルパイを買い求めることだ。
 と申しても、そんじょそこらのアップルパイとは、わけが違う。煮りんごが、クワイか里芋かというほどの大きな塊で、ゴロンゴロン入っている。どうすればこれほど均等に熱が通るのだろうか。
 煮りんごの周りを包んでいる、パテというかソースというか餡というかが、液体とも固体ともつかぬ柔らかなクリーム状で、よくぞこれで型くずれせぬものと感心させられる。むろんとびきり美味い。当地へ買いに来なければ、味わうことができない。

 このアップルパイの小ぶりなホールをひとつ買うのが、私にとっては谷中散歩の眼玉である。フルーツケーキやロールケーキなどの長いものは、輪切りカットでけっこうだ。生クリームケーキやチョコレートケーキなど丸く大きなものは、三角カットされたものが食べやすい。けれどアップルパイだけは、小ぶりのパイを丸ごとホールで欲しい。理由はない。いつの頃からの、私のこだわりである。

 谷中よみせ通りのマミーズさんは、近隣住民であれば知らぬものとてない、アップルパイ専門店だ。サイズにも、味のアレンジにもいく種類かがあるものの、要するにアップルパイ以外の商品はない。ご執心の固定ファンが、遠くから乗物を使って買物にやってくる。私はそれほどの「通」ではないので、たまさか谷中へ来たおりに買って帰る程度にすぎない。ごく駆出しである。
 昨年は息切れしてしまって、寄らせていたゞけなかったので、今年こそはとペース配分よろしく、用心して霊園内を歩いたわけである。